リーグ杯を負けた岩政大樹は妻の前で号泣。「あのとき覚悟が決まった」 (3ページ目)

  • 寺野典子●文 text by Terano Noriko  井坂英樹●写真 photo by Isaka Hideki

――ナビスコカップ敗退が決まったのが10月13日ですね。

「リーグ戦は9月22日から連勝がスタートし、9連勝しての逆転優勝を飾るわけですが、その真ん中に(ナビスコカップの)大きな敗戦があったんです。連勝し始めるとメディアは好調だと騒ぐし、対戦相手も鹿島を止めようと戦い方も変わってきます。そういう難しいなかでナビスコカップ敗退というワンクッションがあったのは、すごく大きかった。ナビスコカップ敗退の1週間後にあったジュビロ磐田戦で、僕はゴールを決めたんですよね。ちょうど兄に子どもが生まれるとか、いろんなことが変わっていく感じがありましたね」

――そこから5連勝して、直接対決で浦和を破り、迎えた最終節。見事に逆転優勝を成し遂げました。

「最終節も優勝を意識することはなかった。言ってみれば、僕らはダークホースで、ノンプレッシャーですから。だからこそ、勢いに乗れたという部分があったと思います」

――「勝利をもたらせない3番は必要ない」というような使命感は自然と身についたのでしょうか?

「やっぱりクラブのスタッフもそうですし、サポーターも僕らに求めるもののアベレージが高い。連敗も許さないし、3連勝しても当然というような環境がある。そういうチームを取り巻く環境は大きいですね。鹿島は"優勝以外はダメだ"という空気だから」

――その後、2008年、2009年と3連覇を成し遂げ、当時のチームが歴代でもっとも強いと話すOBもいますが......。

「でも、僕らは自分たちが強いとは思っていなかったんじゃないかな。僕はディフェンダーだから、いつも不安でした。連勝しているときも、次は負けるんじゃないかという気持ちとの戦いでしたね」

――2009年には代表にも復帰し、2010年にはワールドカップメンバーにも選出されました。

「僕は育成年代では代表とは無縁の選手でした。その世代はいろんな能力に秀でた選手が代表に選ばれると思うんです。だから僕には縁がなかった。でも、A代表はクラブで結果を残している選手が選ばれるグループです。そう考えると、僕が代表に入るためには鹿島が最適なクラブだったと思います。もし、他のクラブで頑張っても優勝させることができなければ、僕は代表に入る器じゃない。

 鹿島で重要だったのは、チームを勝たせられる選手かどうかです。鹿島は戦術やスタイルを重視する以上に"勝つ"ためのチームを作っているので、勝たせ続けられる選手であれば、起用し続けてくれる。日々の所属クラブでの活躍を代表まで繋げるという意味では、僕にとって鹿島が一番合っていた。鹿島じゃなければ、ここまでのキャリアは積めなかったと思います」

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