被災地にグラウンドをつくった小笠原満男が、子どもたちに語ったこと (4ページ目)
人工芝で子どもたちとサッカーを楽しむ小笠原満男 しかしながら、先述したような映像を見せながらの講演を大小構わず、小笠原はこの7年間続けてきていたかと思うと、正直、尊敬を通り越して唖然(あぜん)としてしまう。この人のなかでは、震災はまだ何ひとつ終わっていないのだ――。今回それを目の当たりにし、取材しながらわかっていたようで、何もわかっていなかった自分に落胆した。
ただ、それだけの意識や想いと情熱がなければ、おそらく、東北でもかなり大きい規模となるこのグラウンド施設の建設は実現できなかっただろう。出来上がったグラウンドを見ながら、プロジェクトを支えた地元のスタッフたちは、本当に人工芝のグラウンドが「できちゃったねぇ」と笑い、口を揃えてこう言った。
「最後まで一番あきらめなかったのは満男だね。あいつじゃなきゃできなかった」
アントラーズのスクールの子どもたちに対して、ひと通り震災についての話を終えると、小笠原は「アントラーズはどういうチームだ?」と聞いた。
するともう子どもたちは、下を向くこともなければ、消極的な発言をすることもなく、大きな声で言った。
「勝つチーム!」
それを受けて、小笠原は最後にこう語りかけた。
「明日、みんなが試合をするグラウンドは、いろんな人たちのいろんな想いが詰まって、やっとできたグラウンドです。相手チームには、お父さんやお母さんがいない子もいるかもしれない。でも、みんな真剣にサッカーをやっている子ばかりです。だから、みんなもサッカーができることに感謝して、真剣に試合をしてほしい。いいか、やるからには全力で勝ちにいけ!」
それは、小笠原の歩んできたキャリアであり、震災から今日までの強い想いが凝縮されたような言葉だった。
東日本大震災から今日で丸7年を迎えた。この大船渡のグラウンドに関して言えば、マイナスにされたものが、ようやくゼロを超えて「1」になったばかりだ。震災の爪痕は、今では東北地方だけではないが、今一度これを機に、改めて被災地に心を寄せつつ、自らの防災への知識を再確認していきたい。
そしてこれからも、東北サッカー発展のために、小笠原の、東北人魂の活動は続いていく。
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