2018.03.11

被災地にグラウンドをつくった
小笠原満男が、子どもたちに語ったこと

  • 佐野美樹●取材・文・撮影 text & photo by Sano Miki

 2018年1月6日、午前8時――。朝の陽射しにキラキラと輝く、まだ真新しい人工芝のピッチ中央に、鹿島アントラーズの小笠原満男の姿はあった。目の前に広がる、完成したばかりのおよそ5000坪のグラウンドをゆっくり見渡すと、彼はつぶやいた。

「すごいよね……。すごいよ、本当に」

被災地・大船渡に完成した全面人工芝の多目的グラウンド 緑色したピッチの上では、すでに子どもたちが元気に走り回ってボールを蹴っていた。その様子を、小笠原は万感の思いで見つめていた。

 被災地に子どもたちが自由に走り回れるグラウンドを作ってあげられないだろうか――。

 東日本大震災後、東北出身のJリーガーたちを募り、『東北人魂』という団体を結成した小笠原は、サッカーを通して被災地の子どもたちの心に寄り添う活動を続けてきた。早7年が経ったが、その間、幾度となく目の当たりにしてきた被災地の現実。活動するイベントが開催できる場所は、もっぱら体育館が多く、そのたびに「もっと外で思い切り走り回れる場所があれば……」という思いが強くなっていった。

 そこで、小笠原は行動を起こすと、グラウンドを作るためのプロジェクトを結成した。自らの出身校があり、学生時代の友人たちの力も借りることができる、被災地・岩手県大船渡市にグラウンドを作ることを決意したのだ。

 それから小笠原は、必要とあれば時間を見つけては大船渡に出向き、多くの人たちにグラウンドの必要性を説いていった。

 現地でサッカー関係者のパーティーがあれば駆けつけ、苦手な人前でも壇上に立ち、声高にグラウンドの必要性を訴えた。時には、大船渡市長へ直談判にも行った。現役サッカー選手である小笠原がフロントマンに立つことで説得力が増すことは、本人が一番理解している。だから、時間が許すかぎり、どんなことでも積極的に行動した。

 周囲の理解と協力を得ていくのと同時に、イチから土地を探していかなければならなかった当プロジェクトは、決して平坦な道のりではなかった。しかし、誰よりも最後まであきらめずに動き続けたのは、小笠原だった。

 グラウンドを作ることができるのなら……その一心だった。