被災地にグラウンドをつくった小笠原満男が、子どもたちに語ったこと (2ページ目)
そしてついに、多くの寄付金や援助、さらには大船渡市の協力のもと、2017年12月26日、大船渡市に全面人工芝の多目的グラウンドがオープンしたのである。
小笠原が大船渡に人工芝のグラウンドを作ることにこだわったのには、実は理由があった。まずは、大船渡が被災地であるということ。そして、東北地方でも海沿いで比較的暖かく、積雪が少ないということだった。
被災地に人を呼べるグラウンドができれば、大会などを催(もよお)すことで人の出入りが多くなり、街が活性化する。そこで積雪の少ない大船渡に、天候に左右されにくい人工芝のグラウンドを作ることで、イベント等も滞りなく開催できるのではないか、と考えたからだ。そして、試合やイベントで訪れる人たちに被災地の現状を少しでも目にしてもらうことで、風化を食い止めるとともに、防災の注意喚起もできる――。なかでも、防災意識を促すことに関しては、小笠原はことさら熱心だった。
冒頭のグラウンドでは、完成を記念して初めてのイベントが行なわれた。東北地方の小学生チームを主体としたサッカー大会を開き、そこには鹿島アントラーズのスクール選抜チームも招待していた。
前日、小笠原は、そのアントラーズのスクール選抜チームの選手たちに被災地である大船渡に来ることの意味を知ってもらうため、ちょっとした講演を行なった。
プロジェクターを用いて津波の映像を見せると、さすがに子どもたちも息を飲み、真剣な眼差しを向ける。しばらくして映像を止めた小笠原は、自らの言葉で震災時の状況を説明すると、子どもたちにひとつの質問を投げかけた。
「じゃあ、津波が来ましたって言われたら、どうしたらいい?」
子どもたちは誰も手を挙げないどころか、下を見てうつむいていた。見かねた小笠原が続けて言葉をかける。
「そんなんじゃ、試合中に自分がボールをほしいときにも呼べないよ?」
それを聞いた途端、子どもたちの目に輝きが戻り、一斉に手が上がりはじめる。それはまるで、魔法の言葉のようだった。
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