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【Jリーグ】2012年、グランパスのサッカーは崩壊していた (2ページ目)

  • 小崎仁久●文 text by Kosaki Yoshihisa
  • 渡辺航滋●撮影 photo by Watanabe Koji

 というのも、闘莉王はフィニッシャーにはなり得たが、攻撃の起点としての役割は十分に果たせなかったのだ。ストイコビッチ監督が「闘莉王は、あくまでもDFであってFWではない」と説明するまでもなく、FW経験の少ない闘莉王が前線で効果的な形を生み出せるはずはなかった。

 結果、全体的にパスがスローテンポになった。中盤やサイドは上がれなくなり、前線に早めにボールを放り込んで、闘莉王の個人技に頼るようになった。その戦術がチームの共通意識であったのならまだしも、パスをつなぐのか、ロングボールを入れるのか、ピッチ上の選手たちが迷い、戸惑っているのは、外から見ていてもはっきりわかった。

 闘莉王が前線にポジションを変えたことで、守備の安定感も失った。思わぬ大量失点を喫して敗退したり、土壇場の粘りを欠いて大事な試合を落としたりすることが多かった。

 名古屋OBで、チームの動向をずっと見てきた望月重良氏(S.C.相模原代表)は、こうして名古屋が低迷したことは、「根本的な問題もある」という。
「(2010年に)優勝したときからほとんどメンバーの入れ替わりがなかった。そのため、(昨季の開幕前も)チーム全体の成長、伸びしろがあまりないように感じていた」

 2008年、ストイコビッチ監督は組織的なパスサッカーを掲げて、名古屋の指揮官に就任した。その後、年を重ねるごとに組織的なサッカーは成熟し、ケネディ、闘莉王、金崎夢生、ダニルソンなど、力のある個を加えていくことで、「組織」と「個」がうまく融合した"名古屋のサッカー"が確立された。その絶頂期が、2010年のリーグ制覇だった。

 しかしそれからは、組織と個のバランスが崩れ始めていった。個の力があるがゆえに、流れが悪い中でも個の力で打開できてしまう。すると、組織より個にますます頼るようになってしまったのだ。

 2011年は、それでも結果を残して地力のあるところを見せたが、メンバーの顔触れがほとんど変わらぬまま迎えた2012年、頼るべき個が欠けたことで、組織に対する意識低下が完全に露呈。「チーム全体の共通意識は、ピクシー政権の1年目(2008年)が一番良かったのではないか」と望月氏が言うように、今やスペクタクルなサッカー、少ないタッチで相手ゴールまで迫るプレイを見る機会も、どんどん減ってきている。

 チームの精神的支柱でもある、GK楢崎正剛は言う。
「(2012年は)自分たちのサッカーではなかった。いいサッカーができていなかった」

 選手たちは、問題点を十分に認識している。はたして2013年、チームが抱える課題を解消できるのか。名古屋にとって、ターニングポイントとなるシーズンになりそうだ。

(つづく)

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