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【ワールドカップ】高卒1年目の鎌田大地の「立ち姿」を見て直感 「彼を生かしたサッカーがしたいと思った」 (4ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Yuhei Harayama

【鎌田を中心にゲームプランを考えた】

── 当時から「世界」というものに目を向けていたわけですね。海外志向も強かったのでしょうか。

「大口を叩くタイプではないので、海外に行きたいとは、あまり言ってなかったと思います。ものすごく冷静で、自分の現状を客観的に捉えられる。今の自分では無理だとわかっていたからこそ、そういうことはあまり口にしなかったんでしょう。現状に満足していないから、危機感もあったと思います」

── ルーキーの鎌田選手を起用するにあたって、気をつけたことはありますか。

「もちろん試合に勝たなくてはいけないし、チームを残留させなければいけない。そのなかで大地が生きるのは、スタートからなのか、途中からなのか、まずはそれを考えましたね。逆に言えば、彼を中心にゲームプランを考えていました。

 これを言うと、後出しジャンケンと思われてしまいそうですが、僕は彼が生きるのはセンターハーフだと思っていました。自陣のボックス近くで守備をして、そこから前に出ていって、相手のゴール前でも仕事をする。足は速くないですけど、走力もあるので、いろんなことができる選手になるだろうなと」

── 当時はトップ下として起用することが多かったですよね。

「そうですね。やっぱり1年目の頃は、まだまだ守備に課題があったので、なるべく攻撃的な仕事がやりやすい位置で起用しました。ほかの選手に守備はがんばってもらって、大地には攻撃で違いを見せてほしかったんです。彼は組み立てもできますけど、シュートがうまかった。得点という部分に一番期待していました」

── 鎌田選手のプレーで一番、印象に残っているものはありますか。

「アウェーの名古屋(グランパス)戦で、豊田陽平に出したスルーパスですね。アディショナルタイムの決勝ゴールにつながったんですけど、逆を向きながらスルーパスを通したんです。あれはしびれましたね。

 デビュー戦も印象深いです。交代直後に、30メートルくらいのスルーパスを通したんです。これはゴールにつながりませんでしたが、その後に自分でゴールを決めてしまった時には驚きました」

(つづく/文中敬称略)

◆森下仁志・中編>>中村敬斗のプロ2年目は「悲壮感」が漂っていた


【profile】
森下仁志(もりした・ひとし)
1972年9月21日生まれ、和歌山県海南市出身。順天堂大学から1995年にガンバ大阪へ加入。豊富な運動量を武器に中盤で活躍し、のちにコンサドーレ札幌、ジュビロ磐田でプレー。2005年限りで現役を引退した。翌2006年からジュビロ磐田のユースコーチ、トップチームコーチを歴任し、2012年に同クラブの監督に就任。その後、京都サンガF.C.のコーチ、監督を経て、サガン鳥栖、ザスパクサツ群馬、ガンバ大阪U-23で監督を務め、ガンバ大阪ユースの監督も歴任した。2024年に東京ヴェルディのコーチに就任し、現在はヘッドコーチを務める。Jリーグ(リーグ戦)通算239試合10得点。ポジション=MF。身長173cm。

著者プロフィール

  • 原山裕平

    原山裕平 (はらやま・ゆうへい)

    スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。

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