「山形はすごく居心地のいいクラブです。だけど...」世代屈指のディフェンダー半田陸がガンバ大阪への移籍を決断した理由 (3ページ目)
「僕と同い年(同学年)のほかのクラブの選手、たとえば山本理仁(MF/当時・東京ヴェルディ→現・ガンバ大阪)とか、斉藤光毅(FW/当時・横浜FC→現スパルタ・ロッテルダム)とかは、もうけっこう試合に出ていたので、だいぶ焦りはありましたね」
── 17歳の半田選手にとって、プロの世界は心身ともに厳しいものでしたか。
「体がキツいな、という試合は何試合かありました。でも、毎試合、毎試合、できることが増えていくような感覚だったので、自分のなかでは楽しくやれてましたし、ひとつひとつ(こなしていこう)っていう感覚でした」
── 2021年になると、J2でほぼ全試合(42試合中37試合)に出場。自分なりに勝負の年として臨んだシーズンだったのですか。
「やっぱり3年目ということで、おっしゃるとおり、勝負の年だと思って挑みました。
開幕からは試合に出られず、ほかの選手のケガがあって(出られるようになった)という状態ではあったんですけど、いつ(出番が)きてもいいように、キャンプから通じてずっといい準備ができてたからこそだったと思います」
── 半田選手の記録を振り返ると、2021年に3ゴールを挙げ、それが現時点でのJリーグでの全ゴールとなっています。このシーズンだけ、何があったのでしょうか。
「去年も何回かチャンスはありましたけど......、いやー、なんでですかね(笑)。
(しばし熟考して)思いきりのよさがより出ていたのか、そんなに重圧を受けることなくプレーできていたのか......っていうくらいですね(笑)」
── そして2022年の昨季を最後に、山形からガンバ大阪へ移籍。なぜこのタイミングで山形を離れる決断をしたのですか。
「ずっと山形で育って、ずっと山形でJ1に(昇格したい)っていう思いでやってきました。それを達成できるのが一番でしたけど、(昨年の)夏頃はそれができるような位置にいたのにダメだったとなって......。
山形はすごく居心地のいいクラブです。だけど、いつまでもその環境にいては成長できないなって思いましたし、J1で(プレーしたい)っていう思いはずっとあったので、このタイミングになりました」
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