「山形はすごく居心地のいいクラブです。だけど...」世代屈指のディフェンダー半田陸がガンバ大阪への移籍を決断した理由 (2ページ目)
── 当時、山形の試合はよく見に行っていたのですか。
「いやあ、それがそんなに見てなかったですね(苦笑)。対戦相手に有名な選手がいる時だけ見に行っていた、というくらいです」
── 山形のアカデミーに入った段階で、トップ昇格が目標だったのですか。
「そうですね。ジュニアユースに合格してからは、それを目標にしていました」
── ジュニアユースからユースには上がらず、高校サッカーを進路に選ぶ選手も少なくありません。迷いはありませんでしたか。
「まあ......、多少はやっぱり、ありましたね。山形のユースも、まだそんなに力がない状態だったので。東北には(強豪校の)青森山田(青森)とか尚志(福島)とかもありますし、少し悩む期間はありました」
── 最終的に山形のユースへ進むことを決断した理由は?
「決め手は、監督の今井(雅隆/現FC刈谷監督)さんがいたことです。そこでサッカーだけじゃなく、人としても成長できるなって思って決めました。あと......、高校サッカーに行くと朝練があるので、それが嫌で......っていうのも少しはありましたね(笑)」
── 結果的に、高校2年時にプロ契約。Jリーガーへの近道を選んだわけですが、それを伝えられた時はどうでしたか。
「もう......ビックリした話で。すごく早いなって思いました。
自分と年齢が近い人のなかからも、ほかのクラブではそういう選手がちらほら出てきていたので、僕も早く(Jリーグに出たい)っていう思いはありましたけど。それでも、その話を聞いたときはビックリしました。なんかこう......なかなか実感の湧かないものでした」
── プロ1年目の2019年はJ2で5試合のみの出場。当初、プロの壁は感じましたか。
「スピード感も、一人ひとりの技術もまったく違いましたし、最初は慣れるのに時間がかかりました。シーズンを重ねるにつれて試合数を増やせたこと(翌2020年は15試合出場)はよかったなと思いますけど......」
── けど?
2 / 5