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中村憲剛と佐藤寿人にとってワールドカップとは?「あれを決めていれば、その1点で人生が変わった」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by AFLO

---- ピッチに立った瞬間はいかがでしたか?

中村 4試合目だったので、日本もパラグアイも明らかにコンディションが落ちていて身体は動かないし、どっちも守備的なチームだったので、いろんな意味で重い試合でしたね。僕は途中からアベちゃん(阿部勇樹)と代わって「点に絡んでこい」と言われてピッチに入りました。

 システムもそれまでの4−5−1から4−2−3−1に。自分のなかでは自信があったし、ベンチでの戦況を見ていて、相手のシステムや戦術も含めてやることが整理されていたので、「初めてのワールドカップだ」という特別な緊張感や意識は一切なくて、いつもの試合のように目の前の相手にいかに勝つかに集中していました。いつもと同じ感覚で入れたのはよかったですね。

 もちろん、いつもの代表戦とは違う雰囲気ですけど、ワールドカップ感はそこまでなかったです。状態がよかったからなのか、ほとんどそこに意識はいかなかったです。むしろ、3試合出られなかったので試合に飢えていましたし、自分が日本を救うんだという気持ちがかなり高まっていました。

「心は熱く、頭は冷静に」とよく言いますが、あの夢にまで見た大舞台でその状態に持っていけたことは、自分のキャリアにおいて大きな意味があったと思っています。舞い上がってもおかしくない、緊張で押しつぶされてもおかしくない場面でしたから。ただ悔やまれるのは、結果を残せなかったこと。チャンスはありましたから。

---- それこそ、国民的なヒーローになれるチャンスがあったわけですね。

中村 そうなんですよ。ひとつは玉ちゃん(玉田圭司)が左サイドからえぐって、ペナルティエリアに侵入してクロスを入れた場面。並行にポジションを取っていたら点を取れたんですけど、僕はマイナスで待ったことで、玉ちゃんの上げた並行のクロスに合わせることができませんでした。

 目の前を通っていくボールを見て「なんでマイナスに出さないの!」と思いました。玉ちゃんからすれば、「なんで憲剛は並行に走らなかったんだよ」と思っているでしょうけど(苦笑)。

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