宮本恒靖が驚きと緊張感で「うわっ、出るのか」。初のW杯の舞台は「体にまとわりつくような空気を感じた」 (4ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 だが、森岡の負傷は想像以上だった。ほどなく、コーチのサミアが宮本を呼びにきた。

 突然巡ってきた出場機会。宮本は、「うわっ、出るのか」という少々の驚きと同時に、ウォーミングアップ中にはなかった緊張感を覚えていた。

「呼ばれた時は、不安よりも何よりも『(試合に)出るのか』っていうところの緊張感がグッと高まって。あんまり(トルシエ監督からの)指示も覚えていないです」

 急に出番がきたからなのか。あるいは、日本のワールドカップ初勝利が目前だったからなのか。いずれにしても、宮本は「ワールドカップは全然違うんだな」と、それまでに経験してきた年代別世界大会とは、重圧の大きさがまるで違うことを思い知らされていた。

「ベンチで前半を見ている時は、『親善試合とあんまり雰囲気は変わらないな』と思っていたんですけど、入ってみたら違いましたね。ピッチに入っても足どりが重いというか、体にまとわりつくような空気を感じながら、という感じでした。初めて(の感覚)でしたね」

 その後、ほどなくして緊張は収まったが、日本は75分に同点に追いつかれ、試合はそのまま2-2の引き分け。宮本にとっては、ほろ苦いワールドカップデビュー戦となった。

 とはいえ、特別な舞台だからこその感覚は、決して緊張感だけではなかった。

 そこにはこれまでに感じたことのない、確かな"熱"が存在していた。小学5年生の時に想像していたように、もしも外から見ているだけだったら、おそらく感じることのできなかったはずのものである。

「隆行が(点を)とり、稲本がとり、点が入った時のあの空気っていうのは、やっぱりすごかったですよね」

 試合展開を考えれば、勝ち点3を逃した試合、だったのかもしれない。だが、ただならぬ空気のなか、ようやく手にした勝ち点1は、結果的にその後につながる価値あるものとなっていく。

 と同時に、それは日本がワールドカップで初めて手にした、歴史的な勝ち点でもあった。もちろん、新聞を開けば、誰もが目にする大きな記事になっていた。

(つづく)

宮本恒靖(みやもと・つねやす)
1977年2月7日生まれ。大阪府出身。現役時代はガンバ大阪の中心選手として長年活躍した。その他、オーストリアのザルツブルク、ヴィッセル神戸でもプレー。各世代別代表でも奮闘し、1993年U-17世界選手権、1997年ワールドユース、2000年シドニー五輪に出場。その後、A代表入りも果たし、2002年、2006年とワールドカップにも2度出場した。現役引退後は、解説者として奔走する一方で、FIFAマスターを取得。2015年にガンバのアカデミーコーチに就任。以降、ユース監督、U-23監督を経て、トップチームでも手腕を揮った。現在は日本サッカー協会の理事を務める。

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