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「怒りが収まらない」三都主アレサンドロ。今でも忘れられない日本代表の試合とは? (5ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by Press Association/AFLO

「悔しくてしょうがなかった。顔では『みんな、がんばってね』って、落ち着いているように見えたと思いますけど、悔しいっていうか、怒りですよね。心のなかでは、もう怒りが収まらない。ロッカーを殴りたい気持ちでした」

 当時の記憶がよみがえるのか、三都主の言葉にも力がこもる。

「監督に対する怒りっていうんじゃなくて、自分自身に、みたいな感じですよね。『もっとやればよかった』って、そういう気持ちとかがなんかこう......、うまく収まりませんでした」

 日本は後半も試合を優勢に進めたが、結局、1点が届かずタイムアップ。三都主はベンチからピッチを見つめることしかできないまま、試合終了のホイッスルを聞いた。

「点をとりたかったし、日本を次のステージに連れていきたかった。自分としては、『あそこにいれば、絶対に何かができたはずなのに』っていう思いが強かったんです」

 三都主は4年後、2006年ワールドカップでも日本代表メンバーに選出され、全3試合に出場している。前述のブラジル戦をはじめ、どれもが彼にとって印象に残る試合ではある。

 しかし、このトルコ戦だけは別格だという。

「やっぱりベスト8がかかっていた試合ですし、自分のFKもあったし、自分がゴールに近いポジションに入って、すごく楽しかったけれど、もっと出たかったなっていう悔しさもあって......、この試合はなんか印象的ですね」

 日本中がサッカーで熱くなった、あの夏からすでに20年近くが経過した。

 三都主も現役を退いて5年ほどになるが、今なお本気で悔しそうに、それでいて時折笑みを浮かべ、どこか思い出を懐かしむように言葉をつなぐ。

「やっぱりワールドカップは夢の大会で、ああやってチャンスが来て、45分で結果が出せなかった。悔しいですよね、一番。その気持ちは、今でも収まらない。もう時間を戻すことはできないし、たぶんいつまで経っても残るんだろうね」

(つづく)

三都主アレサンドロ
1977年7月20日生まれ。ブラジル出身。明徳義塾高を卒業後、1997年に清水エスパルス入り。その後、浦和レッズ、名古屋グランパスなどで活躍した。2001年に帰化して日本代表でも奮闘。2002年、2006年とW杯には2度出場している。国際Aマッチ出場82試合、7得点。現在は生まれ故郷のブラジルで自らのチームを立ち上げ、指導者、ゼネラルマネジャーとして奔走している。

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