オマーン戦どころじゃない。W杯予選で忘れられない日本代表の試合「ワースト3」 (2ページ目)
3位=日本1-1UAE
1998年フランスW杯アジア最終予選(1997年10月26日/日本)
岡田新監督のもとで戦ったアウェーのウズベキスタン戦も1-1で引き分け、1勝3分1敗で迎えたホームでの2位UAE戦。3位日本とUAEの勝ち点差は1ポイントで、勝てば順位は逆転する。だが、日本はシステムを4-4-2に変更しても悪い流れを変えられず、またしても先制しながら1-1のドロー。その瞬間、韓国の首位通過が決定した。
いまも鮮明に覚えているのは、試合後に怒ったサポーターたちが、スタジアムを囲んで出口を封鎖し、チームバスに向かってパイプ椅子や生卵を投げるなどの騒乱を起こしたことだ。後にも先にも、日本代表戦でサポーターがこのような行動をとったことはない。それも含めて、最悪の試合に数えられる。
杉山茂樹氏(スポーツライター)
1位=日本0-1バーレーン
2010年南アフリカW杯3次予選(2008年3月26日/バーレーン)
2007年11月、イビチャ・オシムが脳梗塞で倒れると、サッカー協会は後任に岡田武史を指名、2008年3月から始まったW杯アジア予選に臨んだ。バーレーンとのアウェー戦はその初戦だった。
岡田監督は守備的なサッカーをする監督として知られていたが、この人口約百数十万の小国バーレーンに対しても、5バック同然の3バックで臨んだ。まさかの敗戦となったが試合後、岡田監督が発したひと言には耳を疑い、唖然とした。「これからはオレ流でやる」。ならばバーレーン戦の采配は、誰流のサッカーだったのか。これまでを振り返れば、バーレーン戦のサッカーこそが岡田流であることは明々白々だった。だが、岡田監督はそれを、自身にとってはよそ行きの、オシム流で戦ったことが敗戦に繋がったと言わんばかりのコメントを残した。第2次岡田ジャパンの前途を象徴するかのような一戦だった。
2位=日本1-1ウズベキスタン
1998年フランスW杯最終予選(1997年10月11日/ウズベキスタン)
1点をリードされた試合終了間際、後方から井原正巳が蹴ったロビングは、呂比須ワグナーの頭をかすめ、勢いなく相手ゴールに転がっていった。ウズベキスタンGKが目の前を横切った三浦知良の動きになぜか惑わされ、後逸するという凡ミスを犯してくれたことで、日本は絶望の淵から生還することになった。
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