サッカー人生で最も苦しんだ1カ月。中村俊輔は何を考えていたのか (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by YUTAKA/AFLO SPORT

 そうした状態にあって、中村は先を見ることで、自分の気持ちを落ち着かせていたという。

「このまま帰ったら、『W杯で活躍できなかった10番』『もう終わった選手』って言われる。でも、『このまま落ちていくんだろうな』っていうふうには、絶対に思われたくはなかった。そこで、『これは下を向いている場合じゃない』『1、2年先を考えるところからスタートしないといけない』、そう思った。

 それから、サッカーノートを見たり、筋トレを多めにしたりして、『帰国したら、こういうプレーをしよう』とか、毎日いろいろと考えていた。逆に言うと、そう考えることでしか、自分を保つことができなかった」

 それほど、ベンチでの日々はつらかったのだ。

 ただ、振り返れば中村は、いつも前を向いて"少しでもうまくなるため"、真摯に練習に取り組んできた。エスパニョールで試合に出られなかったときもそうだった。

 試合後、ひとりでピッチ外を走っていた。その際、「アイツ、試合が終わってからウォーミングアップを始めたぞ。大丈夫か?」と、冷たい視線で見るファンや関係者がいたが、中村は気にせずに黙々と走っていた。

「南アのW杯のときも、みんながシャワーを浴びているとき、俺は走っていた。悔しいし、惨めだけど、他の選手は試合をしたけど、俺は試合に出ていないから。そこで休むと、どんどん差が開いていく。それが嫌なんで、きついけど、走っていた。

 そのうち、岡崎(慎司)とか、森本(貴幸)とかが来て、一緒に走るようになった。苦しくて、もがいているときが一番伸びるときだから。それにしても、今考えると(あのときは)すごくもがいていたなと思う」

 中村は息を吸って、大きく背筋を伸ばして、そう言った。

 中村のサッカー人生で、最ももがき、苦しんだ時間だった。

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