サッカー人生で最も苦しんだ1カ月。中村俊輔は何を考えていたのか (3ページ目)
一方で、チームは決勝トーナメント進出。その1回戦でパラグアイにPK戦の末に敗れたが、2002年大会以来となるベスト16入りに日本国内は大いに沸いていた。
最後の試合も、中村の出番はなかった。
振り返ってみれば、2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会と、中村は「10番」を背負いながら、主役を演じることができなかった。
南アフリカ大会でもチャンスを与えられたが、そのチャンスを生かせなかった。個人的には何も成し遂げることができないまま、W杯の舞台から去った。自らへの期待も大きく、W杯は夢の舞台だっただけに、そこで輝けなかった自分への失望感は胸の中で大きく膨らんだ。
「W杯では、俺はカスでしょ。ドイツでは輝けない。南アはベンチ」
自らを突き放すように中村は言った。
「(W杯では)何もできなかったからね。今思うのは、自分でもよくわからないんだけど、W杯みたいな大舞台になると、おかしくなる。なんで俺、こんなにうまくいかないんだろうって思った。何かに取り憑かれているのかなって......。
(最終的にメンバーから外れた)日韓共催大会も含めて3大会だからね。でも、最終的に思ったのは、トータルで実力不足だったということ。ズバ抜けている選手になっていれば、こんなことは起きないから」
どんなにクラブで輝いても、代表チームやW杯で輝けない選手がいる。だからといって、彼のことを「実力がない」とは誰も言わない。中村は、W杯にほんの少しだけ、縁がなかったのだ。
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