北澤豪が「これだけは許せなかった」という岡田監督の裏切り采配 (6ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

「あのとき、俺はもう代表には入っていなかったけど、ずっと代表でやってきたから『おめでとう』って言ってくれたと思うんです。選手にしてみれば、代表に入ってプレーしていない自分が残念っていう感覚があるんだけど、周囲の人はそうは思っていない。メンバーに入っていなくても、代表のひとりとして見てくれている。そう考えると、ここまでやってきてよかったなって思った。俺はW杯には出られなかったけど、そのひと言ですごく救われた」

W杯出場は叶わなかったが、サポーターの言葉に救われたという北澤豪W杯出場は叶わなかったが、サポーターの言葉に救われたという北澤豪 そう語ると、北澤は表情を崩した。

 日韓W杯が未曾有の盛り上がりを見せた2002年のシーズンが終わったあと、翌2003年シーズンから横浜F・マリノスの指揮官に就任することになっていた岡田監督からオファーが届いた。

 しかし、北澤は右膝のケガの影響もあって「本来あるべき姿を見せられない」とそのオファーを断った。

 そして、そのままスパイクを脱いだのである。

(おわり)
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北澤豪(きたざわ・つよし)
1968年8月10日生まれ。東京都出身。修徳高→本田技研→読売クラブ→ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)。ヴェルディ黄金時代のメンバー。「ダイナモ」の異名で日本代表でも長年活躍した。(財)日本サッカー協会理事

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