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【プロ野球】「僕にとって太陽みたいなもの」 石川雅規が25年間続けたキャッチボールと小川泰弘との"特別な時間" (4ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Seiya Shimamura

 そうした日々を振り返り、石川は「いい仲間にめぐり会えて幸せでした」と語る。

「僕ら野球選手は、ただ練習をするんじゃなくて、ウォーミングアップを一緒にしたり、その前の準備だったり、いろいろな時間をともに過ごして、もちろん食事も一緒にします。そのなかで、やっぱりキャッチボールをするのがすごく楽しかったですね。先輩方、そして後輩たちとキャッチボールをした思い出は強いですね。

 あとは普段の会話だったり、本当に何気ない時間というのが、すごく幸せなことだったんだなと。引退を決めてからまだ少しの時間しか経っていませんが、今の時点でこれだけ感じているので、これからもっと感じてくるのかもしれませんね」

 石川は今季、一軍初登板となった8月27日の巨人戦(神宮)で左肩を亜脱臼して緊急降板。それも引退を決断する大きな理由のひとつとなった。

 今は引退試合に向け、戸田球場でトレーナーなどを相手に軽いキャッチボールを始めている。小さな大投手にとって、25年間大切にしてきたキャッチボールとは、いったいどんな存在だったのだろうか。そう尋ねると、石川はしばらく考えてから答えた。

「なんだろうな......。友だちという感じではないし......そう、太陽みたいなものですね」

 そして、言葉を続けた。

「だって、太陽がないと何も始まらないですよね。世の中にしても、地球にしてもそうだし。僕にとって、なくてはならないもの。キャッチボールがあったからこそ、僕を照らし出してくれて、道を照らしてくれた」

 プロ1年目から25年間、石川は何度、誰かとボールを投げ合ってきただろう。

 先輩から教わり、同世代と競い、小川とともに試行錯誤を重ね、やがて後輩たちへ自らの経験を伝えるようになった。そのすべての時間に、キャッチボールがあった。

 10月3日。石川雅規は大学時代から慣れ親しんだ神宮球場で、現役最後のマウンドに立つ。

石川雅規(いしかわ・まさのり)/1980年1月22日、秋田県出身。秋田商高から青山学院大を経て、2001年ドラフト自由獲得枠でヤクルトに入団。1年目の02年に12勝を挙げて新人王に輝くと、以降も先発左腕として長年にわたってチームを支えた。15年には13勝を挙げ、リーグ優勝に貢献。167センチと小柄ながら、抜群の制球力と投球術を武器に第一線で活躍を続け、プロ25年間で通算188勝をマーク。ヤクルト一筋で46歳まで現役を続け、2026年限りでの引退を表明した

著者プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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