【プロ野球】「まず変える。理屈はあとから」 権藤博が語る球界の常識を疑い続けた近藤貞雄という異端児 (5ページ目)
「アイデアマンだったのは間違いないですね。人がやらないこと、人と違うこと、新しいことをやろうとする。スーパーカートリオなんかもそうです。そういうところは私も似ていると思います。ただ、近藤さんを見ながら『あんなに軽くはやらんぞ』とも思っていました(笑)。頭のいい方ですから、まず変えてしまって、理屈はあとからつける。
でも私に言わせれば、それでは少し軽い。本当は先に理屈を示して、『だからこう変えるんだ』と説明しなければいけないと思うんです。でも、近藤さんはあまりそういうことを言わない。それでも、発想力は本当にすごかったし、あそこまで実行できる人もなかなかいません。3球団で監督を務めたのも納得です。私は、いい監督だったと思います」
プロ野球の世界、「いい監督」とはどういうものか。権藤はあえて言及しなかったが、近藤貞雄はどんな監督だったのか──。2006年の逝去から20年の節目に、選手として近藤に仕えた野球人の声を聞いていきたい。
(文中敬称略)
近藤貞雄(こんどう・さだお)/1925年10月2日生まれ、愛知県出身。法政大を中退し、43年に西鉄でプロ入り。翌44年に巨人へ移籍し、46年には23勝を挙げる活躍を見せた。その後、中日でプレーし、54年に現役引退。引退後は中日、大洋(現・DeNA)、日本ハムで監督を歴任し、日本球界に先駆けて投手の役割分担を重視した起用法を導入。82年には中日をリーグ優勝に導いた。既成概念にとらわれない野球を追求した"球界屈指のアイデアマン"として知られる。99年に野球殿堂入り。2006年1月2日、死去。
著者プロフィール
高橋安幸 (たかはし・やすゆき)
1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など
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