「納得できる環境でプレーしたいんで...自分の一生ですから」 18歳の内海哲也は巨人で投げることだけを見据えていた (4ページ目)
入団交渉は難航。オリックスも粘り強く、年を越しても交渉を続けたが、内海の強い思いを崩すことはできなかった。
その後、内海は社会人野球の東京ガスへ進み、3年後の2003年に自由獲得枠で念願の巨人へ入団。西武を含めた2球団で135勝を積み上げ、2022年限りで引退すると、現在は巨人の一軍投手コーチとして、二度の最多勝に輝いた技術と経験を後輩たちに惜しみなく伝えている。
編集長のノリで始まった前代未聞の奇想天外な企画。最初は「イヤだな......」と思ったが、内海を取材してみて、前向きに気持ちが変わっていた。その理由は、100分話し込むよりも、10分ボールを受けたほうが、ピッチャーのことは100倍わかるという実感があったからだ。
ただそうは言っても、おそらく世界で初めての取材手法であり、「ボールを受けさせてくれ」なんて、やっぱり変な話だ。もし私が監督で、そんな話が舞い込んできたら、きっとお断りしている。
事実、その先の数年、10人にお願いして9人に断られるという"イバラの道"が待ち構えていたのである。
内海哲也(うつみ・てつや)/1982年4月29日生まれ、京都府出身。投手。敦賀気比高では2年秋の福井大会、北信越大会で優勝も3年春の選抜は他部員の不祥事により出場辞退。2000年ドラフト1位でオリックスから指名を受けるも入団を拒否し、東京ガスへ入社。03年自由獲得枠で巨人に入団。11年から2年連続で最多勝のタイトルを獲得し、12年には日本シリーズMVPにも輝くなど巨人のエースとして活躍。19年に西武へ移籍し、22年限りで現役引退。西武のファーム投手コーチを経て、現在は巨人の一軍投手コーチを務めている。
著者プロフィール
安倍昌彦 (あべ・まさひこ)
1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。
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