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「納得できる環境でプレーしたいんで...自分の一生ですから」 18歳の内海哲也は巨人で投げることだけを見据えていた (3ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Masahiko Abe

 ひたすら用心深く、こちらの"腕前"を見極めるかのように、少しずつボールの強さを上げながら、丁寧に、丁寧に投げてくる。「こういう投手を"クレバー"って言うんだな」と、心の中でつぶやきながら、30球も投げてもらった頃にはもう暗くてボールが見えず、こちらがギブアップとなった。

 なので、記念すべき「流しのブルペンキャッチャー」の初回は、凄まじいボールに悲鳴を上げながら受けるような場面はなかったのだが、むしろそうした状況だったからこそ、内海哲也の本質の一端を垣間見たような気がした。

【憧れの巨人で後進を育成する日々】

「すみません、最初はやっぱり、誰だかわからないので、投げるのも怖かったんですけど、途中でちゃんと受けられる人だってわかったんで、ちょっとだけ力を入れて投げました」

 そう語る内海の姿は、まさに泰然自若。高校野球を終えたあと、見違えるように大人っぽくなる球児がたまにいるが、まさにその典型。京都育ちのはんなりした話しぶりでも、その内容には"芯"のようなものがあった。

「もちろん、進路はプロ一本で考えているんですけど、最近よくあるような、指名されたところに喜んで......みたいな気持ちはあんまりないんです。同じ野球じゃないかっていう人もいますけど、球団によっていろんなことが違っていると思いますし、納得できる環境でプレーしたいんで......自分の一生ですから」

 当時の内海は、プロに入ることだけを夢見る少年ではなかった。見据える視線は、間違いなく、もっと前を向いていた。

「オカンに......」と言いかけて、「母に......」と言い直した内海は、こう続けた。

「大きな負担をかけてきたんで、いろんな形で恩返しは絶対にせなあかんし、そういう意味では、ほかの選手たちより考えていることが多いかもしれないですね」

 その年のドラフト会議が行なわれたのは、取材にうかがってからひと月ぐらい経った頃だったと思う。巨人以外は指名拒否の姿勢をあらかじめ表明していた内海は、オリックスから1位指名を受けた。

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