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【プロ野球】江川卓はなぜ怪物だったのか? 同級生・遠藤一彦に明かした「170キロは出ていた」の真相 (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

ともに1955年生まれの江川卓氏(写真左)と遠藤一彦氏 photo by Sportivaともに1955年生まれの江川卓氏(写真左)と遠藤一彦氏 photo by Sportivaこの記事に関連する写真を見る 引退後になって、ようやく素の江川が表に出るようになったに過ぎない。遠藤との今回が初対談となるこの場でも、エピソードが披露されるたびに必ずオチをつけようとする徹底ぶりだった。遠藤もそれに呼応するかのように応戦し、段取りのないアドリブ合戦は妙な緊張感を帯びながら、最後には必ず笑いへと収束する。マウンドを離れてもなお、エース同士のテクニックを、今度は話芸という形で随所に見せてくれた。

【もし高卒でプロ入りしていたら?】

 そしてMCの上重聡から、満を持して「高校からプロ入りしていたら、1年目からどうなっていたと思うか」という質問が投げかけられた。江川は、それを受けて堂々と口を開いた。

「10くらいは勝ってたんじゃないですか」

 なんの迷いもなく、平然と言う。

 それはリップサービスというより、本音だと感じた。怪物と呼ばれた高校時代の感覚のままプロ入りしていれば、1年目から2ケタ勝利は挙げられる──江川はそう自信をもって答えたのだ。

 当時のプロ投手の誰よりも速い球を投げていた作新学院時代の江川。その投球をつぶさに見ていた辛口の評論家たちも、仮にそのままプロ入りしていれば、15〜20勝は可能だと太鼓判を押していたほどである。

"平成の怪物"と呼ばれた松坂大輔(元西武ほか)は、1999年のプロ入り1年目に16勝を挙げている。その25年前、もし江川が高校からプロ入りしていたら、いったいどれだけ勝っていたのか。通算200勝は固く、250勝、いや300勝も狙えたのではないか。いまなおそんな議論が沸き起こるほど、江川のボールは異彩を放ち、まさに"ドリームボール"と呼ぶにふさわしいものだった。

 そんな江川と同級生として、最高峰のレベルでプレーしていれば、意識しないはずがない。プロ入り後の江川について遠藤に尋ねると、「入った年は2カ月遅れで9勝、翌年に16勝、3年目には20勝。もうレベルが違いますから」と語った。

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