【プロ野球】江川卓はなぜ怪物だったのか? 同級生・遠藤一彦に明かした「170キロは出ていた」の真相 (2ページ目)
高校はもちろん、六大学でも、江川が少し力を入れて指にかけたボールに打者がバットを当てることなど、ほとんどなかった。ところがプロでは、それを当ててくる。その対応力に、江川は驚かされたという。
江川が遠藤に同意を求めると、遠藤は「オレはその前に、すごい世界に入っちゃったと反省した」と即答した。
【170キロは出ていた!?】
江川と遠藤は同級生だが、高校時代に対戦経験はない。大学では、江川は法政大、遠藤は東海大と所属リーグが異なり、公式戦での対戦は、大学4年秋の明治神宮大会決勝での一度きりだった。
遠藤はこの試合をはっきりと覚えており、「あの江川と投げ合うんだ」と意気込んでマウンドに上がった。だが、当の江川は、それが明治神宮大会の決勝だったということしか覚えていない。
「覚えているよ。いいピッチャーがいて、フォークがいいという印象だった」と江川が嘯(うそぶ)くと、遠藤は「いやいや、フォークはプロに入ってからだから」とすかさず突っ込む。「ああ、プロに入ってからの話ね」と、江川はとぼけてみせた。
プロではほとんど言葉を交わしたことがないふたりだが、同級生という縁もあってか、阿吽の呼吸で会話は弾み、場の空気は終始和やかだった。
1980、81年に最多勝を獲得した江川に対し、83、84年は遠藤が最多勝に輝いた。江川がプロ4年目の夏に肩を痛めると、その後を引き継ぐかのように遠藤がピークへと駆け上がり、2年連続で最多勝を手にした。
江川が最も速い球を投げていたのは高校時代ではないか。そんな議論は、いまだに交わされる。遠藤が「160キロは出ていた?」と尋ねると、江川は真顔で「いや、170キロ」と返した。一見、仏頂面の遠藤も思わず笑みをこぼし、江川はしてやったりといった様子で満足げだった。
「空白の一日」によって、江川はプロ生活9年間、常にダーティーなイメージを背負うことになった。引退後、テレビを中心に活躍の場を広げるなかで、キャラクターを変えたと思われがちだが、実際はそうではない。もともとコミカルで口達者、人を笑わせることが好きな性格だった。
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