「神経質なスラッガー」と「お山の大将」が変わった日 明秀日立・金沢監督が語る「能戸輝夢と野上士耀の成長曲線」 (3ページ目)
【成長の証が導いた甲子園】
こうした2つの出来事が大きな転機となり、能戸は周囲に目を配れるようになって精神面にも余裕が生まれていったのだろうか。
「ちょっとした仕草に、他者への配慮が見えるようになりました」と金沢監督が感心するように、能戸は本塁に生還しても、喜ぶより先に捕手のマスクを拾いに向かう。勝利して校歌斉唱を終え、仲間たちが一斉にスタンドへ駆け出す場面でも、まず相手ベンチに一礼してから走り出す。金沢監督からそうした指導を受けたわけではなく、自然とそうした行動ができるようになった。
また心の余裕は、武器である打撃にも好影響を与えていった。鋭い打球を連発し、飛距離も飛躍的に向上。確実性に加え、走力の高さや優れた対応力、身体能力をNPB球団のスカウトに示し、評価はみるみるうちに高まっていった。
夏の茨城大会でも、準々決勝の岩瀬日大高戦までに13打数6安打、打率.462を記録していた。しかしこの試合で左足首の靱帯を断裂する大ケガを負い、途中交代。準決勝は欠場したものの、決勝では志願して代打出場し、見事に安打を放った。この大会の打率は5割に到達。延長タイブレークの激闘の末、3年ぶり2回目の甲子園出場を決め、試合後には金沢監督と抱き合った。
甲子園では8回に代打で出場。二塁ゴロに倒れたが、左足を引きずりながらも一塁まで走り切った。
故障こそあったものの、ドラフト前には多くの調査書が届き、中日からドラフト4位指名を受けた。理想の将来像については、「本当に心の底から野球を楽しめる選手になりたい。そして、見ている人も一緒に楽しめるような選手になりたいです」と語る。
自分のことで精いっぱいになり、余裕を失って神経質になっていた姿は、もうない。金沢監督のもとで視野を広げた能戸は、心技体のすべてで成長を遂げ、プロの世界へと羽ばたいていった。
【センスは一流、課題は人間性】
「よくプロに行ったなと思います。こんなこと言ったら怒られるかもしれないですけど」
金沢監督がそう笑って評するのが、オリックスからドラフト7位指名を受けた捕手の野上士耀(のがみ・しきら)だ。
3 / 7

