【プロ野球】オリックス元スカウトが回顧 金子千尋の逆指名決定後「1億円の冒険はできない」「なぜダルビッシュ有を入札しない」と猛反対された (2ページ目)
── 逆指名を発表しておいて、撤回ができるのですか?
熊野 いえ。結局、宮内義彦オーナー(当時)の承諾が出て、そのまま獲得に至りました。しかし、一難去ってまた一難。今度は新監督に就任した仰木(彬)さんが1月の会議で「なぜ金子なのか? 東北高のダルビッシュ有を入札しないのか」と言い出したのです。ただ球団の方針として、ダルビッシュは回避してほかの選手に行くことを決めてのドラフトだったのです。
── そのあたりが球団フロントから仰木監督に説明されていなかったのですね。
熊野 私は辞表をしのばせていましたが、中村勝広GM(当時)に「待て、早まるな。金子をしっかり育成しようじゃないか」と。私たちはトレーナー、理学療法士、投手コーチらと協力して、綿密な育成スケジュールを立てました。球団をあげて、金子を育てようと。そういう意味で、私にとって印象深い選手なのです。
── 金子投手はプロ4年目の2008年から7度の2ケタ勝利を含む通算130勝。最多勝にも2度輝きました。2014年には優勝チームでないにもかかわらず、MVPに選ばれました。
熊野 プロは結果がすべての世界です。千尋が活躍してから「ドラフト1位で大正解でしたね」と言われましたが、入団時はボロカスに言われました(苦笑)。仰木さんは2005年に亡くなられましたが、千尋の立派な姿を見てもらいたかったし、「よく獲ってきたな」とほめてもらいたかったですね。
【スカウト冥利に尽きた西勇輝】
── いい意味で予想を覆す活躍をして、"スカウト冥利"に尽きる選手はいましたか。
熊野 2008年に菰野高から入団した西勇輝です。彼にかんしては、私は1位で指名したかったのです。
── 西選手は3位でしたね。
熊野 あの年は、150キロのパワー系右腕、東海大三(現・東海大諏訪)の甲斐拓哉を推すスカウトが多かったのです。西は最速141キロでしたが、当時から柔らかい投球フォームが印象的で、コントロールも変化球もよかった。「体ができれば、きっとやれる」と見ていました。
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