辻発彦が振り返る西武黄金時代の広岡達朗監督の逸話 最大の褒め言葉は「誰でもひとつは取り柄があるんだな」 (3ページ目)
上重 西武に入ってからは?
辻 1年目はプロのスピードにもなかなか慣れないし、バットを指1、2本ぐらい短く持ってやってみても、結果が出ずに二軍にいました。2年目から試合に少し出るようになったころ、広岡さんから試合前に「とにかくひと握り短く持て! お前はインコースが強いから、ベースに思いっきりくっついてアウトコースを真ん中ぐらいにして全部引っ張れ」と言われて、その時は先発メンバーだったんですけど、3塁線に2本ツーベースを打ったんです。いきなり結果を出したので、それをずっと続けました。オールスターの時期(7月)ぐらいから、終盤まで3割ぐらい打てましたね。
上重 辻さんのイメージは、バットを短く持って右に左に打つイメージですが、広岡さんのアドバイスがあったんですね。
辻 そうそう。こっちはプライドも何もないから、とにかく結果で、その時は全部引っ張っていたんですよ。右に打つようになったのは、後々レギュラーになってからです。バッティングは引っ張れなかったら、いいバッターになれないと気づきました。
上重 基本は、しっかり引っ張れることがあってこその右打ちだということですね。
辻 右打ちは簡単だと思う。(右バッターは)普通に打ったって右に飛ぶわけで、あとは角度だけだから。
上重 広岡達朗さんの教えや言葉のなかで印象に残っていることはありますか?
辻 先ほど言ったように褒め言葉がひとつもないわけですよ。キャンプが終わって、西武第2球場でダブルプレーの練習をセカンドの3人ぐらいでやっていたんです。それからバックトスの練習するんですが、僕がすごくうまかったらしくて、広岡さんから「誰でもひとつは取り柄があるんだな」って。それがもう最大の褒め言葉で唯一褒められたこと。その言葉は忘れられないですね。
上重 バットを短く持ったり、華麗な守備を見ていると、小柄な方だという印象があるかもしれないですが、身長は180cm ありますもんね。
辻 あります。今はちょっと縮んできましたけど(笑)、入団した頃は182cmありました。
上重 当時は大型二塁手ですよね。
辻 はい。あの頃、西武の内野手はみんな大きかったんですよ。(188cmの)清原がファーストにいて、セカンドに僕がいて、ショートに(180cmの)石毛さんがいて、(186cmの)秋山がサードやっていて、みんな180cmオーバーで大きかったんですよね。
上重 私も辻さんにお会いして、大きい方なんだって結構びっくりしました。
辻 これは12球団、「プロ野球界の七不思議」のひとつらしいです(笑)。古田敦也が初めて神宮球場で僕に会った時の第一声は、「でかっ!」でした(笑)。
【Profile】
辻発彦(つじ・はつひこ)/1958年10月24日、佐賀県出身。1983年にドラフト2位で西武ライオンズに入団。16年間の現役時代で複数のゴールデングラブ賞やベストナインを受賞。2017年より2022年まで6年間、西武ライオンズ監督を務めた。現在は野球解説者として活動している。
上重聡(かみしげ・さとし)/1980年5月2日生まれ、大阪府出身。PL学園時代にエースとして活躍。立教大では東京六大学リーグで史上ふたり目の完全試合を達成。卒業後の2003年にアナウンサーとして日本テレビに入社。2024年3月末をもって同社を退社し、現在はフリーアナウンサーとして活動している。

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