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宮西尚生はなぜ真っすぐとスライダーだけで勝負できたのか プロ1年目のキャンプでリリーフで生きていく覚悟を決めた (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

 1年目の宮西は45回1/3を投げて被安打47、自責点22で防御率4.37。それが2年目の2009年は46回2/3で被安打39、自責点15で防御率2.89と良化し、翌10年は47回2/3で被安打29、自責点9で防御率1.70と大幅に改善された。特にクリーンアップ相手の対戦成績が顕著で、09年は被打率5割台だったのが、10年は0割台。何をどう変えたのか。

「最初は左打者を専門的に投げていたのが、2年目にいいところで投げさせてもらえる回数が多くなると、右打者との対戦でよく痛打される。そこで次の年は対右を課題として、『じゃあ、どう攻めるか』と。キャッチャーの方と相当、キャンプ中から練習しました。何かが変わって一気に成長するというよりも、何とか少しずつ、地味に成長させてもらったと思います。投手コーチ、監督には」

【真っすぐとスライダーしか投げなかった理由】

 5年目頃には「右でも苦じゃないというスタンスをつくっていただけた」と言う宮西。あくまでも指導者と先輩方のおかげ、との姿勢が示されている。ただ、当時から長い間、ほぼ真っすぐとスライダーの2球種で抑えてきた。痛打されて、どう攻めるかとなった時、自身で球質を高めるよう努めつつ、ほかの球種の習得も考えたことだろう。

「右打者に打たれるようになって、いろいろ違う変化球を試すこともあったんです。でも、リリーフは先発と違って、1イニング、たかが10分、その一瞬の登板にすべてをかけないといけない。特に"勝ちパターン"でいくってなると、打たれた場合、今まで積み上げたものがすべて台無しになってしまうというなかで、ほかの変化球でいった場合に悔いが残っちゃうんですよね」

 4年目の2011年。宮西は開幕してまもないロッテ戦で今江敏晃に逆転2ランを浴び、5月のソフトバンク戦では松田宣浩に2ランを打たれて勝ち越され、いずれも敗戦投手になった。だが、この時以上に痛い思いをしたのが、同年のソフトバンク戦でアレックス・カブレラに痛打を食らった時だ。チェンジアップを覚え、初めて試した1球目を打たれて後悔が残った。

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