【プロ野球】ゼロからの挑戦、若手との絆、亡き恩師への想い...田中健二朗が「幸せだった」と語った第2のプロ野球人生 (4ページ目)
森下監督との出会いがなければ、田中はプロになれなかったと考えている。
「野球がうまくなるためには、失敗しても明るく前向きじゃなければダメだと、森下先生は常におっしゃっていました。しょぼくれて野球をやるなって。ここ近年話題の"エンジョイベースボール"の先駆者だったと思いますね。楽しく野球ができたからこそ僕は甲子園で優勝できたと思っているし、プロになって最初は結果が出ず、ネガティブな感情になっていた時は本当にうまくならなかったんです。その後、先ほど話した木塚さんとの練習で、森下先生が言っていたことがつながったんですよ。苦しいなかでも楽しまなければ上達しない。本当に森下先生には感謝しかないですね」
自身を育んだ静岡の地。始まりと終わりの物語が時間を超えて繋がり、田中は誇りを胸にマウンドを去る──。
田中健二朗(たなか・けんじろう)/1989年9月18日生まれ。愛知県出身。2007年の常葉菊川高3年時に春のセンバツで優勝し、夏も全国ベスト4に進出した。同年、高校生ドラフト1位で横浜ベイスターズに指名され入団。15年に35試合に登板し防御率2.20の好成績を挙げ、以降は貴重な中継ぎとして活躍。その後、ヒジの故障もあり19年にトミー・ジョン手術を受けて育成契約となるも、21年6月に再び支配下登録に。22年4月19日には1363日ぶり勝利を挙げた。しかし翌年、11試合の登板に終わると、オフに戦力外通告。24年からNPBのファームに新規参入したくふううふハヤテベンチャーズ静岡でプレー。25年9月に現役引退を表明した。NPB通算274試合登板、14勝13敗1セーブ64ホールド、防御率3.64
著者プロフィール
石塚 隆 (いしづか・たかし)
1972年、神奈川県出身。フリーランスライター。プロ野球などのスポーツを中心に、社会モノやサブカルチャーなど多ジャンルにわたり執筆。web Sportiva/週刊プレイボーイ/週刊ベースボール/集英社オンライン/文春野球/AERA dot./REAL SPORTS/etc...。現在Number Webにて横浜DeNAベイスターズコラム『ハマ街ダイアリー』連載中。趣味はサーフィン&トレイルランニング。鎌倉市在住
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