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【プロ野球】ゼロからの挑戦、若手との絆、亡き恩師への想い...田中健二朗が「幸せだった」と語った第2のプロ野球人生 (3ページ目)

  • 石塚隆●文 text by Ishizuka Takashi

 そううれしそうに語る田中の様子を見ていると、自身のNPB12球団復帰は叶わなかったが、決して報われない人生だとは思えなかった。そう伝えると、田中は「もちろんですよ」と深くうなずいた。

【耐えまくりの2年間だった】

 では、このハヤテでの2年間、人間として心の部分で成長できたものは何だろうか。

「うーん、根性論みたいになっちゃうんですけど、"耐える"ってことですかね」

 あきらめないこと、顔を下に向けないこと。それを35歳のベテランは、身をもって実践した。

「正直、決して恵まれた環境ではありません。たとえば治療だって限られた時間しか受けられませんし、ちょっと調子が悪いなって思っても、自分でなんとかしなくちゃいけない。ピッチングでも本当に何度も苦しいことがあったけど、フォアボールを出そうが、打たれようが、とにかくゼロで帰ってくる。そういった"耐える"といった部分で心の成長というか、それまでの自分とは違うなって思うことはあります」

 そして田中は声を張って続けるのだ。

「耐えまくりの2年間でしたけど、未経験だったウエスタン・リーグでプレーをしたり、また、人とのつながりが以前より増えたり、プラスの経験しかないんですよ。球団にはいろいろフォローしていただいて感謝しています。僕の引退が報道されると、いろんな方から連絡をいただき『おつかれさま』とねぎらいの言葉をたくさんもらいました。本当に幸せな野球人生だったと思います。あっ、けど、ひとつ心残りがあるとすれば......」

 そう言うと、田中は目線を遠くにした。

「高校時代の監督である森下知幸先生が、昨年1月に亡くなられたんです。僕が静岡のハヤテに入団することはお伝えできたのですが、引退をすることを報告できなかったのはすごく残念です......。落ち着いたらお墓参りに行きたいと思います」

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