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中畑清が篠塚和典に涙で感謝した、1989年日本シリーズでの現役最終打席「ありがとう、シノ」 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

【みんなが演出した、"私のための日本シリーズ"】

――篠塚さんからの直訴を受け、藤田監督の反応は?

篠塚 「うん、わかった」という反応でしたね。試合展開としても、代打を出しやすい流れになっていましたしね。

中畑 原がホームランを打って点差が4点に広がったんだよな。だから、原もひと役買ってくれているわけで。なんかうまくハマっちゃったんだよ。"私のための日本シリーズだった"みたいな、おいしいところだけ持っていっちゃってすみません(笑)。

――中畑さんのホームランは、スタンドにいるファンが呼び込んでくれたように感じました。

中畑 東京から自分の後援会の方たちが来られていて、ボールが落ちた場所がちょうどその方たちが陣取っていたところだったんです。神宮球場で打ったシーズン最後のホームランもそう。人間のつながりみたいなものを感じますよね。演出してもそうはいかないだろうという。

篠塚 ホームランボールは帰ってきたんですか?

中畑 ガラスのケースに入った状態で帰ってきました。

篠塚 ここ(自宅)に置いてあるんですか?

中畑 シノが野球教室で来てくれた、地元の(福島県)郡山に飾ってあるよ。

【プロフィール】

■中畑清(なかはた・きよし)

1954年1月6日生まれ、福島県出身。駒澤大学を卒業後、1975年のドラフト3位で巨人に入団し4年目から一軍に定着した。通算打率.290の打撃、ファーストでゴールデングラブ賞を7回獲得した守備で勝利に貢献。長嶋監督から調子を聞かれ、試合に出るために「絶好調!」と答えて「絶好調男」としても人気を集めた。1989年に現役を引退。2012年から4年間、DeNAの監督を務めた。また、2004年のアテネ五輪ではヘッドコーチを務めていたが、チームを率いていた長嶋茂雄氏が脳梗塞を患って入院したあとに監督を引き継ぎ、チームを銅メダルに導いた。

■篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

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夏の甲子園優勝。ドラフト1位で長嶋茂雄監督に見出され、ジャイアンツでリーグ優勝、日本一を達成。2度の首位打者、4度のゴールデングラブ賞を獲得。イチローのセンター前ヒットでWBC2連覇した際には、侍ジャパンの打撃コーチもしていました篠塚和典、「夏季野球合宿2025」が開催されます!

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著者プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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