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中畑清が篠塚和典に涙で感謝した、1989年日本シリーズでの現役最終打席「ありがとう、シノ」 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

【中畑の現役最後の打席は「本当に幸せな瞬間だった」】

――おふたりは巨人で何度も優勝されていますが、どの優勝が印象に残っていますか?

中畑 3連敗した後に4連勝で日本一になった(1989年の)近鉄との日本シリーズです。それと、(1983年の)西武との日本シリーズ。3勝4敗で負けたのですが、お互いにサヨナラ勝ち(7試合中3試合がサヨナラで決着:巨人2度、西武1度)するなど劇的な展開が多く、気持ちの入ったシリーズでしたね。

――第3戦では中畑さんがサヨナラタイムリー、第6戦では9回に篠塚さんと原辰徳さんが出塁、中畑さんが逆転タイムリーを打ち、あと1イニングで日本一寸前でしたが、その裏に追いつかれ、延長10回にサヨナラ負けを喫しました。

篠塚 西武は強かったですよね。

中畑 勝てなかったけど、自分のなかでは「戦えたな」っていう充実感があったというか、そういうシリーズだった。やっぱり日本シリーズは特別な戦いだからね。短期決戦で日本一を争うという、プロ野球では最高のイベントだよ。

 それと、近鉄との日本シリーズは自分にとって現役最後の戦いだったわけですが、その時(3勝3敗で迎えた第7戦)にシノがとってくれた行動は忘れられないね。シノがそういうことをやるタイプではないと思っているから、なおさらインパクトがあるんだよな。

篠塚 やっぱり、中畑さんにとって現役最後の試合でしたし、「どこかで中畑さんを使ってもらえないかな」と思っていて。でも、日本一が決まる大事な試合ですし、藤田元司監督も「勝たなきゃいけない」という考えが第一にある。ただ、そう思っているうちに試合は進みますし、中畑さんになんとか打席に立ってもらいたかったんです。

中畑 自分は出番がないと思っていたけど、シノが藤田監督に「中畑さんを使ってやってください」と直訴してくれたんだよな。「普通、選手が監督にそういうことを言うか?」って。それを目の当たりにしてしまったものだから、「ありがとう、シノ」っていう気持ちで、もう号泣だった。

 やっぱり戦友だしな。(6回表に6-2とリードを広げた場面で)代打で出て、試合展開としてはダメ押しのホームランを打つことができたんだけど、たとえその舞台が用意されなくても、シノのあの演出だけで十分だったね。本当に幸せな瞬間だった。

篠塚 監督ですし、言うのはためらいましたよ。ただ、同期入団で長年一緒にやってきた中畑さんの最後の試合でしたし、僕がセカンドのレギュラーになれたのも、中畑さんがケガで離脱して、セカンドだった原がサードへ移ったからですし。そういう恩返しのためにも(笑)、とりあえず藤田監督の頭のなかに入れておいてもらおうと思って言いましたよ。

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