ヤクルトを支えたユーティリティプレーヤー、荒木貴裕の野球人生を変えた三木肇、真中満との出会い (4ページ目)
連覇を果たした翌年は出場機会が半減し、日本シリーズでは40名の出場選手には登録されたものの、26名のベンチメンバーに入ることはできなかった。チームも日本一を逃し、悔しさの残る1年を過ごした。
「自分がベンチに入れない複雑な思いを感じつつも、出場の準備は続けなければならない難しさを感じました」
そして荒木は2023年、腰痛が悪化した影響もあって引退を決断。14年の選手生活に幕を下ろした。
「さまざまな状況下でプレーしたことで、幅広い視野で野球を見ることができるようになりましたし、各ポジションを守る選手の気持ちも理解できた。残念ながらレギュラーは取れませんでしたが、自分にとって有意義な野球人生だったのではないかと思っています」
【引退後も多彩な活躍】
引退後の荒木氏は、かつてのチームメイトの支えもあり、野球教室やトークショーのMC、醤油やアパレルなどさまざまなアイテムのプロデュースなど、多彩な活躍を見せている。
その中でも、もともとあまり口数が多くなかった荒木氏が、「社会を生き抜くために伝える力の必要性を感じ、伝え方を学ぶきっかけになれば」と思って始めたイベントMCの仕事は、かつてのチームメイトで、実業家としても活躍する米野智人らの誘いが挑戦のきっかけ。米野がオーナーを務めるWacca Coffee Club(東京都豊島区)では、期間限定のコラボレーションメニューの「みたらしキャラメルラテ」も発売している。荒木が地元・富山県の老舗醤油店に出向いて手作りした醤油と、米野の実家で焙煎されたコーヒー豆を使った商品だ。
ユーティリティプレーヤーとして活躍した荒木は、選手時代さながらのマルチぶりを発揮し、充実したセカンドキャリアを歩んでいる。
「最近は『人生100年時代』と言われるようになっていますし、引退した後の過ごし方は本当に大切だと痛感しています。『学生のうちに、自分が豊かな人生を歩むにはどうすればいいのかを考えておけばよかったな』と後悔しているんです。
プロ野球の選手の皆さんも、現役の頃は試合での活躍に意識が向きがちですが、長い人生をどのように過ごしていくのか、じっくり考えてもらえたらなと思います」
今後も「故郷の富山県や野球の魅力を伝えていきたい」と話す荒木。さまざまな良縁を大切にしながら歩むセカンドキャリアの活躍をこれからも見守りたい。
【プロフィール】
荒木 貴裕(あらき・たかひろ)
1987年、富山県生まれ。帝京三高、近大を経て200910年にドラフト3位でヤクルト入り。1年目の開幕戦で球団の新人野手では40年ぶりの開幕スタメンを勝ち取った。その後も内外野を守れるユーティリティーさに加え、俊足巧打でチームに貢献。代打では勝負強さを発揮し、2017年5月の中日戦ではセ・リーグ史上初となる、同一チームによる同一シーズン2本目のサヨナラ満塁弾を放った。応援歌が「名曲」と呼ばれ、端正なマスクで多くのファンに愛された。2023年9月、同シーズン限りでの現役引退を発表。 引退後は、野球指導やイベント出演を中心に活動する傍ら、富山ふるさと大使として地元・富山の魅力発信にも積極的に取り組んでいる。
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