「ポスト古田敦也」と呼ばれた米野智人が振り返る重圧 チャンスを掴みかけた時に訪れた体の異変
米野智人インタビュー 前編
プロ野球の2025年シーズンも、スタジアムに集うファンの大歓声とともに、さまざまな名場面が生まれるだろう。西武の本拠地、ベルーナドームで飲食店を2店舗(ヴィーガン料理専門店「BACKYARD BUTCHERS」、ポテト&チュロス「& Butchers」)営む米野智人氏も、シーズンを盛り上げているひとりだ。
かつてヤクルト時代には"ポスト古田敦也"として期待され、その後は西武、日本ハムと渡り歩いた米野氏に、現役時代のエピソードを語ってもらった。
2019年、ヤクルト球団設立50周年「Swallows DREAM GAME」に出場した米野氏(写真:本人提供)この記事に関連する写真を見る
【ヤクルト時代に感じた古田敦也のすごさと、掴んだチャンス】
北海道の北照高校時代に強肩の捕手として注目を集めた米野は、1999年のドラフト3位でヤクルトに入団。少年時代に憧れていた古田敦也が在籍するチームで、プロ野球選手としてのキャリアをスタートした。
「まさか、古田さんと同じチームに入れるとは思いもしませんでしたから、やっぱりうれしさはあったと思います。ひとつしかないポジションを争う立場でしたけど、不動のレギュラーとして活躍されていた古田さんとは比べものにならないほどの実力差があって、はるか彼方の遠い存在だと思っていました。なので、入団したばかりの頃は、テレビに出ている有名人を間近に見るような感覚で、古田さんの背中を見ていたような気がします」
そして、初の春季キャンプに臨んだ米野は、ブルペンで主力投手のボールを受けることに。そこでもレベルの違いを思い知らされることになる。
「石井弘寿さんのスライダーや、五十嵐亮太さんの投げるフォークボールにはただただ驚かされましたね。150キロを超える速球ももちろんすばらしいんですけど、これまでに見たことがないような鋭い軌道を描くので、最初のうちはきちんとボールを受けることができなくて......苦労したことを覚えています」
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著者プロフィール
白鳥純一 (しらとり・じゅんいち)
ライター。ソウ・スイート・パブリッシング所属。WEBサイト「キングギア」でのライティングをきっかけに取材活動を開始。スポーツの取材やインタビュー記事を中心に執筆を続けている。