「ポスト古田敦也」と呼ばれた米野智人が振り返る重圧 チャンスを掴みかけた時に訪れた体の異変 (2ページ目)
だが、プロ入り前から定評のあった強肩やキャッチングの技術を磨き上げた米野は、プロ入り2年目の2001年に一軍初出場を果たすと、徐々に出場機会を増やしていった。そして、長年ヤクルトの正捕手を務めてきた古田が選手兼任監督に就任した2006年には、古田の後継者候補と目され、周囲から大きな期待をかけられるなかでシーズン開幕を迎えた。
「古田さんが監督の仕事にシフトしていくなかで、僕をレギュラーで起用してくれるような雰囲気をひしひしと感じましたね。期待してもらえていることが本当にありがたくて、『絶対に目の前のチャンスを掴むんだ』という思いでシーズンに臨みました」
そう話す米野は2006年、チームトップの116試合に出場。それまで課題と言われていた打撃も成長し、新たな時代の到来を感じさせた。
「古田さんの考え方を教えていただいたこともありましたけど、基本的には試合状況を見極めながら『まずは自分でリードを組み立ててほしい』という方針で、サインなどは僕の判断に任せてくださいました。さまざまな苦労や重圧もありましたけど、今振り返ってみると『球界ナンバーワン捕手』の影響を間近で感じながらプレーした日々は、僕の野球人生にとって有意義な時間だったと思います」
開幕から先発として出場を続けた米野に大きな自信をもたらしたのが、リック・ガトームソンのノーヒットノーラン達成(2006年5月25日・対楽天)だった。
「この日は初回から三者凡退が続いていて、『今日はやけにリズムよく投げているな』と思っていました。でも、記録には全く気づいていなかったんです。7回を終えてベンチに戻ると『ノーヒットだな......』と宮本慎也さんに話しかけられて、そこで初めて記録を意識するようになりました」
試合が進むにつれて、「選手たちの口数は徐々に減り、ベンチ内の空気もだんだん張り詰めていった」そうだが、その後もガトームソンは無安打投球を続けて大記録を達成した。
「残り6個のアウトを取るまでの重圧はすさまじいものがありましたけど、後世に残る大記録の達成をサポートできたことは本当にうれしかったですし、捕手としても大きな自信になりました」
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