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「ポスト古田敦也」と呼ばれた米野智人が振り返る重圧 チャンスを掴みかけた時に訪れた体の異変 (3ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文text by Shiratori Junichi

【"ポスト古田"の重圧に押しつぶされそうになった日々】

 その後も充実した日々を過ごしていた米野だったが、シーズン終盤に差しかかろうとしていた8月に異変を感じるようになった。

「マウンド上の投手にボールを投げ返す時、なぜか送球が散らばり、真っ直ぐに投げられなくなっていることに気づいたんです。ちょうど同じ時期に、肩が"詰まっている"ような違和感を覚えたんですけど、『疲れのせいかな?』と思って、最初はあまり気にしないようにしていました」

 徐々に悪化していく違和感が確信に変わったのは、夏場の連戦が続く中日戦(8月22日・ナゴヤドーム、現バンテリンドーム ナゴヤ)でのことだった。

 この試合で、米野が盗塁のランナーを指すべく二塁に投げたボールは、高めに抜けて大暴投に。延長戦でも再び大暴投を投じた際に、自身の「イップス」の症状を認めざるを得なくなった。

 米野は試合出場を続けながらスローイングの練習を繰り返したものの、焦る気持ちとは裏腹に症状は悪化。肩の痛みは悪化し、試合に出れば暴投でピンチを広げ、精神的に追い込まれていくという負のスパイラルに陥った。

「僕の送球難が相手にバレてしまったら、『相手チームに走られ放題になってしまう』と思ったので、イップスについては決して話しませんでした。でも、コーチやチームメイトはおそらく僕の異変に気づいていたと思います。腫れ物に触るような雰囲気で周囲の人が話しかけてくるのは、本当につらくて......。ひとりで抱え込まないといけない状況が、自分をさらに苦しい方向に追い込んでいきました」

 シーズン終盤にレギュラーを奪われる形で2006年を終えた米野は、その後もレギュラーを目指したが、ポジションの再奪取には至らず。そして、最下位に沈んだ2007年秋には、低迷の責任を取る形で古田監督の退任が発表された。その一報を二軍で聞いたという米野は、「少なからず期待してもらったのに、力になれずに申し訳ない気持ちでいっぱいでした」と、当時の心境を振り返る。

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