ヤクルト山田哲人も愛用の「ドナイヤ」がメジャーへ! 村田社長が語る「無名グラブが世界に届くまで」 (4ページ目)
村田がA社で最初に担当したプロ野球選手が、のちに『ドナイヤ』の名づけ親となるヤクルトの池山隆寛(現・二軍監督)だった。
「池山さんは1年後に現役を引退するのですが、この出会いがなければ、今の僕はなかったかもしれないです」
その後、選手とのつながりを広げていくなかで、村田は徐々にグラブの奥深さに惹かれていくのだった。
(文中敬称略)
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著者プロフィール
島村誠也 (しまむら・せいや)
1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。
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