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名づけ親はあのミスタースワローズ 社長が振り返るグラブメーカー「ドナイヤ」誕生秘話

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

偶然の出会いが導いた夢〜村田裕信とドナイヤの軌跡(後編)

前編:ドナイヤ村田社長が語る「無名グラブが世界に届くまで」>>

 知る人ぞ知るグラブメーカー『ドナイヤ』。社長であり、唯一の社員でもある村田裕信は、前職のスポーツメーカーで働いている時にグラブの奥深さを知ることになり、興味を抱くようになる。

ドナイヤとアドバイザリー契約を結んでいるヤクルト・山田哲人 photo by Sankei Visualドナイヤとアドバイザリー契約を結んでいるヤクルト・山田哲人 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【最初に購入した選手は?】

「バットの形はある程度決まっていますが、プロ野球選手のグラブというのは一人ひとり形が違います。その選手に合わせてつくるのですが、去年よかったものが今年は違うということもあります。それに革を切るところ、縫うところ、紐を通すところと、すべて手づくりになるので、そこが面白いなと」

 やがて村田は、自分のつくりたいグラブがはっきりしてきた。

「その選手のためだけにつくるのではなく、スポーツ店に置いてある"定番"のグラブをプロにもそのまま使ってもらえる。そういうグラブをつくりたくなったんです。逆に言えば、プロ野球選手が使用しているグラブを一般の方も手に入れることができる。僕はそういうことがしたかったのです」

 ただ、サラリーマンをしているとコスト面や、いろいろな条件もあり簡単にはつくれない。理想のグラブづくりを実現させるため、2010年9月に『ドナイヤ』を設立した。

 池山隆寛は「『グラブメーカーを立ち上げることになりました』と村田から電話がありましてね」と、当時を振り返る。

「『じゃあ、名前は?』と聞いたら、使いたかった社名はすでに商標登録されていて、新しく考えないといけないと。僕としては、『おまえ、何年の付き合いや。会社をつくる前に相談せいや』と少し投げやりな気持ちもあったので、『どうでもええや』にせえって言ったんです。すると『真剣に考えてください』って怒りましたね(笑)」

 そこで池山は、会社を大阪で立ち上げることを知ると、「ドナイヤはどうか」と提案した。

「関西弁で『どないや!』と、自慢できるグラブを目標にしてつくれと。いい意味を込めて、"ドナイヤ"と命名したんです」

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著者プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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