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名づけ親はあのミスタースワローズ 社長が振り返るグラブメーカー「ドナイヤ」誕生秘話 (3ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

 大阪に戻れば、グラブの検品作業などが待っている。硬式用のグラブは阿久根市(鹿児島)の工場、軟式グラブはベトナムの工場に製造を依頼している。

「検品は時間をかけてやります。多い時は、年間で1万個くらいでしたかね。革の中への出し入れで、手の皮が擦れて切れちゃうんです。血がつかないように、絆創膏を貼ったりしてやっています(笑)。それで検品が終われば、出荷作業という感じです」

【グラブでつながった縁】

 3月のある日のヤクルト二軍の戸田球場。村田は球場に着くと大忙しだった。池山を筆頭に、調整で戸田にいた山田、村上宗隆、そしてビジターチームへのあいさつ......。村上は今年から「今はいろいろなグラブを試しています」と、練習ではドナイヤのグラブを使う日もある。

「大きさとか、捕りやすさがいい感じです」(村上)

 ヤクルト二軍総合コーチの城石憲之は、選手に指導する時にドナイヤのグラブを使用している。

「最初は試行錯誤の部分もあったと思いますけど、(山田)哲人も含めて一流選手が長く使っているということは、しっかりした品質だと思いますし、すばらしいことですよね」

 池山にメジャーの選手がドナイヤのグラブを使っていたことについて聞くと、「その話を知った時は"ええっ??"となりました」と言って、こう続けた。

「海外まで行ったことはすごいことで、本当にうれしく思っています。ひとつの物語として、たった一個のグラブの話じゃないなと。これからもそれに恥じないグラブを、より責任を負ってつくってもらいたいですね」

 そうして戸田であいさつ回りを済ませた村田は、「これから3軒、スポーツ店の営業に行ってきます」と、慌ただしく球場をあとにした。

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