オリックス6位・片山楽生は社会人からの入団も伸びしろだらけ スカウトも惚れ込んだ「人間性」を武器に覚醒の予感 (2ページ目)
一方で、そんな人間ばかりではないと片山が慮る。
「全体練習ができない期間は、公園や河川敷でピッチングしていました。僕は、コロナ禍の前の段階で先が開けていたのでよかったですけど、そうでない選手は......残酷でしたよね」
夏に交流試合という形でセンバツ出場を決めていた高校は1試合を行なうことができたが、片山の登板は事前に5イニングまでとチームで決められていたことからもわかるように、真剣勝負というよりも「思い出づくり」の要素が強い試合だった。結果は片山が先発し5回4安打4三振2失点。試合は山梨学院に3対8で敗れた。
甲子園を楽しむ周りの選手たちとは対照的に、入場を許されたスカウトへのアピールの舞台として捉えていた片山は精一杯腕を振り、まずまずの内容で聖地を去った。
秋のドラフト会議では結果的に8球団から獲得の可能性を示す調査書が届いたが、「(指名は)ないなと思っていました」と振り返るように、指名漏れにも大きなショックはなく、社会人野球の強豪・NTT東日本へ進んだ。
【苦悩の連続だった社会人での4年間】
NTT東日本で過ごした4年間は、苦難の時期が圧倒的に長かった。
「後悔はあるよね。もっとこういうふうに送り出せたらとかね」と唇を噛むのは、投手を担当してきた安田武一コーチだ。片山とは会社の部署も同じで、片山は「たくさんご馳走してもらいましたし、野球選手としても、社会人としてもたくさんのことを教えてくれた"東京の父"です」と慕う。
現役時代は日本学園高、スリーボンド、三菱自動車川崎(ともに現在休部)で投手として活躍し32歳まで現役を続け、引退後すぐにコーチに。NTT東日本に来てからも16年、社会人野球生活37年の名伯楽だが、片山の育成には苦心した。
1年目は鮮烈なデビューを果たした。社会人野球最高峰の大会である都市対抗野球大会で2回戦の先発に抜てき。大会出場16回(当時)のTDKを相手に5回3分の1を投げて1失点と、高卒新人とは思えない堂々とした投球を見せた。
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