定岡正二と篠塚和典が明かす長嶋茂雄エピソード 「おい、定岡! 相撲をとるぞ」「シノ、腐るなよ」 (5ページ目)
定岡 守備で「こうやるんだ」という指導はあったの?
篠塚 ありますよ。一次政権の時は実際に動いて見せてくれたのですが、マネはできません。僕がプロ入り1、2年目の時だったと思いますが、多摩川グラウンドで長嶋さんがグラブをはめて、逆シングルで捕る時の動きや、捕った後の投げ方を見せてくれました。すごく滑らかな動きでしたね。
定岡 やっぱり滑らかなんだ?
篠塚 僕たちが「動きがきれいだな」と思えたということは、ファンの方たちにもそう見えていたと思います。プロとして"魅せる"意識も大事なんだなと思わされましたし、そういうことも意識して守備の練習をするようになりました。口だけじゃなくて、実際に動いて見せてくれるからわかりやすいんです。
定岡 ランニングも一緒に走ってくれたしね。半周で切り上げて「おう、よろしく!」って言って帰っていく(笑)。一緒に走れただけでも財産だよね。
篠塚 見ていて楽しいというか、長嶋さんがどこにても目がいってしまいますよね。スーパースターというのは長嶋さんのことを言うんだなと思わされましたよ(笑)。
(後編:定岡正二が明かすドジャースキャンプ秘話 親友・篠塚和典とは「これからも一緒に野球界を盛り上げていきたい」>>)
【プロフィール】
■定岡正二(さだおか・しょうじ)
1956年11月29日生まれ、鹿児島県出身。1974年のドラフト1位で巨人に入団。長嶋茂雄監督の指揮のものもと、1980年にプロ入り初勝利を挙げた。藤田元司監督が就任して最初のシーズンとなった1981年にはプロ入り初の2ケタ勝利(11勝)。翌年にはオールスターに初出場、自己最多の15勝を挙げ、同年代の江川卓や西本聖とともに"先発3本柱"として活躍した。通算成績51勝42敗3セーブ。現役引退後は、タレントとしても活躍の場を広げた。
■篠塚和典(しのづか・かずのり)
1957年7月16日生まれ、東京都出身、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年を最後に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。
著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。
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