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定岡正二と篠塚和典が明かす長嶋茂雄エピソード 「おい、定岡! 相撲をとるぞ」「シノ、腐るなよ」 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

――1982年は、原辰徳さんがチーム1位の33本塁打をマークするなど成長。一時期は4番も務めるなど存在感を示しました。

篠塚 いいタイミングで原が入ってきてくれたんです。長嶋さんと王貞治さんが抜け、ちょっと"華"が欠けてしまっていたので。そういう意味では、原というスター性のある選手が入ってきたことはチームにとって大きかったですし、彼がしっかりやってくれればチームはよくなるだろうという思いはありました。

【定岡は広島戦に強かった?】

――ちなみに、定岡さんは広島戦に強かったですが、何が要因でしたか?

定岡 当時の赤ヘル打線は山本浩二さんや衣笠祥雄さんを中心に、強力な打線で一瞬も気が抜けなかったんです。あと、広島市民球場が狭くて、ちょっと間違えたらスタンドまで運ばれるという怖さと背中合わせだったのが、集中力を高めることにつながったのかなと。ヘルメットやユニフォームの赤が印象的だったし、ちょっと気持ちが燃え上がったのかもしれない(笑)。

篠塚 広島戦は自信を持って投げているように見えましたよ。逆に、ヤクルトのようにセンターから逆方向へ打つバッターが多いチームに苦戦していた印象です。

定岡 ヤクルト戦ではよく打たれたね......。それも下位のバッターに(笑)。野球って面白いよね。広島戦に関しては、確かに自信を持って投げていました。まだ若かったですし、浩二さん、衣笠さんを抑えるごとに自信がついていった感じです。向こうも、僕に対して苦手意識を持っていましたね。

 ふたりに対しては、ほぼ真ん中に投げていたんです。ホームランボールですよ。それを5、10センチくらい曲げると凡打になるんです。浩二さんには「もう顔を見るのも嫌だ」って言われましたよ。ピッチャーとしてはうれしいですね。

――篠塚さんが、マウンドの定岡さんに声をかけにいくことはありましたか?

篠塚 年下ですし、それはなかったですね。ファーストには先輩の中畑清さんがいて、ショートにも先輩の河埜和正さんがいましたから。

定岡 今と昔で、野手がマウンドに行く回数に違いがあるのかな。個人的には任せてもらったほうがうれしいんだけど、ベンチワークとしてちょっと間を作るためには必要かもしれないね。僕らの頃は、野手がピッチャーに声をかけるっていうのはあまりなかったような気がします。

篠塚 今は、タオルや水を持っていったりしますからね。

定岡 あのシーンを見ていると、だったら野手にも「お茶とお菓子を持っていってあげて」と思っちゃう(笑)。キャッチャーも汗をかいているわけだし。あくまで個人的な意見になりますが、過保護という感じに見えて、僕はあまり好きじゃないかな。

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