定岡正二と篠塚和典が明かす長嶋茂雄エピソード 「おい、定岡! 相撲をとるぞ」「シノ、腐るなよ」 (3ページ目)
【篠塚が「本当の意味で恩返しできた」シーズン】
――おふたりの、長嶋茂雄監督とのエピソードで印象に残っていることは?
定岡 シノはたくさんあると思うし、聞きたいな。
篠塚 長嶋さんが僕をドラフト1位で指名すると決めたのですが、周囲から反対されていたらしいんです。それをミスターが「責任を持つから」と言って指名してくれたっていう話をあとから聞いて。なので「長嶋さんに恥をかかせていけない」っていう思いで現役時代はずっとやっていました。
その意味で、自分が一軍の舞台で活躍する姿を見せたかったのですが、そういう姿を見せる前にミスターは監督を退任された。僕が一人前になれば長嶋さんの顔も立たせることができたわけですが、それが果たせずにショックでしたね......。
――退任された後も気にかけてくれていたんですか?
篠塚 原にセカンドのポジションを奪われる形になった1981年のシーズンに、「シノ、腐るなよ」と声をかけてもらいました。結果的にこの年はセカンドのポジションに返り咲き、いい打率(.357)を残せましたし、期待に応えられてよかったなと。
ただ、本当の意味で恩返しできたかなと思えたのは、1984年に初めて首位打者のタイトルを獲った時です。「これで長嶋さんが僕を獲ったことが間違いじゃなかった」と証明できたんじゃないかと。1984年のロサンゼルス五輪でカール・ルイスの取材をしたり、充電期間中だった長嶋さんに報告したら喜んでくれて、『ありがとう!シノ/名人・篠塚利夫』(「利夫」は当時の登録名)という文庫本(1985年1月1日発刊 )を書いてくれたんです。
定岡 (本を書いてもらったことは)ないな、俺は(笑)。
篠塚 肩の荷をひとつ下ろすことができた思いでしたね。
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