福田秀平がくふうハヤテでプレーして気づいたこと 「僕にとっての当たり前が当たり前じゃない」 (2ページ目)

  • 杉田純●文 text by Sugita Jun

 すべてはNPBに返り咲くため。自身の立場や年齢、NPBのニーズを考えた時、唯一開かれている道がファーストだったのだ。

 1月にキャンプインすると、福田は新たな志を胸にほかの若い選手や元NPB戦士らとともに汗を流し始めた。幸い、ロッテ時代に痛めた肩の状態も当初は良好だった。

「静岡って(冬でも)めちゃくちゃ暖かいんですよ。暑いぐらい。プレーするのに全然問題なかったです」

 福田はロッテ時代「ほとんどキャンプに参加できていない」という。ケガの連続で、リハビリに費やす時間が多かったからだ。それだけに、くふうハヤテで初日からキャンプを行なえる喜びが大きかった。だが、それが再び悲劇を呼ぶことにもなってしまう。肩の痛みが再発したのだ。

「暖かくて、肩の状態も最初はよかったので、毎日頑張っていたんですよ。それが肩にけっこうきちゃいました(苦笑)。張り切りすぎちゃいましたね」

【ロッテ時代に逆戻り】

 リーグ戦が開幕した頃には、再び肩の痛みとの戦いが始まっていた。当初は痛み止めの注射を使っていたが、徐々にそれも限界を迎えてくる。検査を受けると右肩の骨の変形が進んでいたうえに、やがて抗炎症剤の注射も打てなくなってしまう。

 それでも試合に出ないという選択肢は、福田にはなかった。

「痛みをとるには練習を抑えないといけない。目標はNPBに戻ることだから、『試合に出られません』だと意味がないじゃないですか。試合に出ることが最優先になる。コンディションを重視すると、練習はできない......」

 そんな状態を福田は「ロッテ時代に逆戻り」と表現した。ロッテ時代も、バッティング練習をせずに試合に出るということがあった。練習量が減ればそれだけパフォーマンスにもメンタルにも影響が出てくる。

 さらに、くふうハヤテでの立場もある。福田はベテランであり、NPB経験者だ。若手の手本になろうという思いもあったが、「若い子に自分が練習している姿を見せることもできないし、そういう葛藤もありました」と、当時の苦しい胸の内を吐露した。

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