福田秀平がくふうハヤテでプレーして気づいたこと 「僕にとっての当たり前が当たり前じゃない」 (3ページ目)

  • 杉田純●文 text by Sugita Jun

 バッティングフォームも変わった。「普通、肩って触れるじゃないですか」と言いながら、福田は右手を自らの左肩に伸ばす。だが、その手は左胸の前で止まった。

「触れないんですよ。ここまでしかいかないんです。スイングのほうがきつかったんですよ」

 テークバックがほとんどないフォームは、可動域が狭くなった肩でスイングをするために生まれたものだった。

 無理をしてリーグ戦に出場し続けたが、コンディションは上がらず、打率は1割台をさまよった。NPB復帰を目指して静岡まで来た福田だったが、5月頃には限界を悟った。

「絶対にオファーなんか来ないんですけど、声がかかったとしても戦力になれないっていうのはすごく実感しました」

 NPBの支配下登録期限である7月31日までにオファーは届かず、翌8月1日に現役引退を表明した。この日以降、福田は6試合しか出場していない。ドラフトに向けてアピールを続ける若手に出番を譲るためだった。

 例外は、涌井秀章が先発した9月8日の中日戦、古巣・ソフトバンクのタマスタ筑後での最終カードとなる9月20〜22日、そして静岡での最終カードとなった9月27、28日だ。

 涌井とはプライベートを含め親しかったため、赤堀元之監督やトレーナーが気を利かせて起用したものだった。ただ、いずれの試合も1、2打席しか立っていない。これは先述したように若手に出番を譲るという目的もあったが、2打席が肉体的に限界だったからだ。

「球団からは4打席立ってほしいと言われたんですけど、『立てて2打席ですね』って話をして。1打席でもよかったんですけど、それだと初回で終わっちゃうじゃないですか。応援してくれているファンや家族、身内も来るので2打席くらいは見せてあげたいなって思って、2打席で落ち着いたってところですね」

 満身創痍の福田だったが、最後は福岡のファンにも、静岡のファンにもユニホームを着て自らの声であいさつすることができた。

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