江川卓が見せた寂しがり屋の一面 麻雀を終え帰宅しようするチームメイトに「おい、やめないでくれよ」と懇願した (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

「江川とは小山高校で一緒にやるはずだったから、何かと気を遣ってくれましたね。江川はとにかく麻雀が好きで、試合前日でもやるんです。ただ夜中の12時頃になると、江川は『明日先発だからもう寝る』って言うんです。僕は試合に出ないし、植松は出てもあまり打たないんだけど、みんな気を遣って『じゃあ、やめるか』って言うと、江川は『やめないでくれよ』って。静かになるのはイヤだったんじゃないですか。寂しがり屋だから。ならば......と、僕らは朝までやっていましたね。試合中はブルペンでピッチャーの球を受けるんですけど、もう眠くてね(笑)。

 江川は、満貫以下は役じゃないと思っているから手に溺れるタイプ。鳴く(ポン、チー、カン)と怒るんです。手作りの邪魔をされることを嫌がりましたね。麻雀ばかりやっていると、牌を積むときに小指が立つんです。江川が投げるときに小指が立っていることがあって、『おい江川、小指が立ってるぞ!』ってみんなで言ったことがありました」

 高校では味わえなかった仲間との娯楽、語らいを、江川は法政に行って初めて経験し、大切にした。

 時として、人間は力で他人を制圧できる。江川も自らの力を見せつけることで、周りを黙らせた。ただ江川は、制圧することはしなかった。そこまでして、栄光を手にしたくなかったのだ。

 歴代の大投手には、自分ひとりで野球をやっていると信じて疑わない"唯我独尊"タイプが多い。しかし江川は開拓者、もっと言ってしまえば"革命家"タイプなのかもしれない。組織や体制を急激に変えたいわけではないが、古い思想を善とするのではなく、仲間とともに新しいものを取り入れ、進化していくことを望んでいたのではないか。

 それはプロ入り後の江川がプレーから待遇まで、あるゆる面で意識改革を起こしたことが如実に物語っている。江川がほしかったのは栄光などではなく、信頼できる仲間だった。だからこそ"和"を求めた。

 大学3年になり、ようやく野球に集中できる環境が整った。江川を筆頭とする「花の49年組」の実力が、いよいよ発揮されることになる。


(文中敬称略)

後編につづく>>


江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

プロフィール

  • 松永多佳倫

    松永多佳倫 (まつなが・たかりん)

    1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。

3 / 3

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る