山口俊がコロナ禍のMLB挑戦で残した未練 セカンドキャリアで「アメリカに借りを返したい」 (2ページ目)

  • 石塚隆●取材・文 text by Ishizuka Takashi
  • 長谷部英明●撮影 photo by Hasebe Hideaki

【コロナ禍でのMLB挑戦と残した未練】

――そして2019年のオフ、巨人としては初となるポスティングシステムを使い、MLBのトロント・ブルージェイズへと移籍をします。ベイスターズ時代もポスティングでメジャーへといった噂がありましたが、メジャーへの想いはいつから胸に抱いていたんですか。

山口 NPBに入る前からでした。中学生の時だったでしょうか、イチローさんがシアトル・マリナーズに入団(2001年)して活躍する姿を見て、野球をやる以上、最高峰の舞台であるMLBに挑戦したいと目標にしていたんです。

――その思いがついに叶ったわけですね。しかしブルージェイズに入団した2020年と言えば......。

山口 右も左もわからないなかキャンプに参加して、だいぶ環境にも慣れて、「さあ開幕か!」という時に新型コロナでロックダウンしてしまって......。移籍1年目でこんなことになるなんて夢にも思っていませんでした。

――シーズンも60試合に短縮されました。山口さんはリリーフで17試合に登板して防御率8点台と苦しみましたね。

山口 これがコロナもなく、普段のレギュラーシーズンのように開幕していたらどうなっていたのかなって思うこともあります。本当、野球人生を振り返ると、いつもタイミングが悪いというか、自分らしいなって(苦笑)。

――翌年はサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍するも、開幕ではロースターに入れずトリプルAのサクラメント・リバーキャッツへ。しかし数試合投げると退団し、同年6月に巨人に復帰しました。

山口 正直に言って、あの時は逃げてしまったんです。マイナーでもコロナの制約が多くて、球場とホテルの往復だけで、すごく孤独というかメンタル的にやられてしまって......。強いていうのならば、自分の野球人生で唯一後悔しているのが、あの決断です。どうして1年間我慢できなかったのか。マイナーとはいえ、なかなか立つことのできないステージにいたのに、自ら手放してしまったのは今でも悔やまれます。

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