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荒木雅博が「意外だった」落合博満監督の野球「いま考えると、相手が勝手に自滅してくれたこともあった」 (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

【意外だった落合監督の野球】

── 現役23年で仕えた6人の監督についての"野球"をどう感じていましたか。まず入団時は星野仙一監督でした。

荒木 111試合に出場したプロ6年目の2001年しか、実質的には絡んでいません。だから、星野監督は厳しいイメージがありますが、私は優しく接していただきました。通算2000安打達成時に花束を贈呈していただいたのが星野さんでした。星野さんは、基本に忠実なオーソドックスな野球でした。攻撃については、島野(育夫)コーチが指揮していたと聞いたことがありますが、私自身は無我夢中でそのあたりを見ている余裕はありませんでした。

── 2002年から2年間は山田久志監督でした。

荒木 同じく投手出身の山田監督もオーソドックスな采配でした。山田監督こそソフトな印象ですが、さすが通算284勝を挙げておられるだけあって、野球に厳しい方でした。私自身、レギュラーに定着していましたが、打撃成績が伸びず、それでも我慢して使っていただきました。

── 2004年からは落合監督が就任。いきなり優勝を果たし、在籍した8年間はすべてAクラスでした。

荒木 意外だったのは、落合さんは現役時代に3度の三冠王を獲得されたすごい打者なのに、目指していたのは「投手力を中心とした守りの野球」だったことです。チーム防御率が1位の時はすべてリーグ優勝、日本一と、守りと順位が連動していました。いま考えると、何も奇をてらったことはやっていなかったのに、相手が「何がやってくるのではないか」と勝手に自滅してくれたこともあったように思います。それにしても、落合監督の8年間はAクラスが当たり前の、まさに"黄金時代"でした。

── 落合監督のあとを継いだ高木守道監督は、2012年は2位でしたが、翌年は4位。失礼ながら、当時の高木監督は新聞に"激情型""瞬間湯沸器"と書かれることもありました。

荒木 高木監督はどちらかというと攻撃型の野球でした。性格的には熱くなる方でしたが、それだけ野球に集中していたんでしょうね。ただ、翌日は何もなかったような雰囲気で、メリハリがあってやりやすかったですよ。

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