荒木雅博が「意外だった」落合博満監督の野球「いま考えると、相手が勝手に自滅してくれたこともあった」 (4ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 2014年から谷繁元信監督になりましたが、4位、5位、6位でした。

荒木 シゲさん(谷繁)はプレーイング・マネージャーで、選手の気持ちを理解しつつ采配も振るったので、大変だったと思います。ただ、捕手出身で緻密な野球をされる方なので、「谷繁監督」を再び見てみたいと心から思います。

── その後、森繁和監督が指揮を執りましたが、2年連続5位に終わりました。

荒木 監督になってから、攻撃面は森脇浩司コーチに一任していました。また、次の監督へのバトンタッチを考えて采配していたように思います。2012年以来、現役引退までの12年間でAクラスは2回。あらためて落合監督時代は強かったと思うと同時に、勝つことは簡単なことではないんだなと。よく「落合監督時代の反動ですか?」と聞かれたりしましたが、ユニフォームを脱いだ今、その答えを探している最中です。

後編:「日本シリーズ初の快挙の舞台裏」へつづく>>


荒木雅博(あらき・まさひろ)/1977年9月13日、熊本県生まれ。熊本工高から95年ドラフト1位で中日に入団。02年からレギュラーに定着し、落合博満監督となった04年から6年連続ゴールデングラブ賞を受賞するなど、チームの中心選手として活躍。とくに井端弘和との「アラ・イバ」コンビは中日黄金期の象徴となった。17年にプロ通算2000安打を達成し、翌18年に現役を引退した。引退後は中日のコーチとして23年まで指導し、24年から解説者として新たなスタートを切った

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