篠塚和典が語る、クロマティが「4割バッター」に迫った1989年 「大好き」と語っていた投手とは?

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

篠塚和典が語る「1980年代の巨人ベストナイン」(4)

ウォーレン・クロマティ 前編

(連載3:ルーキー原辰徳にセカンドを奪われた篠塚和典にミスターから電話「チャンスが来るから腐るなよ」>>)

 長らく巨人の主力として活躍し、引退後は巨人の打撃コーチや内野守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任した篠塚和典氏が、各年代の巨人ベストナインを選定し、各選手のエピソードを語る。

 以前選んだ「1980年代の巨人ベストナイン(※記事を読む>>)」の中で3人目に語るのは、篠塚氏と同時代に主軸として活躍し、「巨人の歴代最強助っ人」のひとりとして数えられるウォーレン・クロマティ氏。巨人に移籍してきた時のバッティングの印象やその変化、打率.378という驚異的な記録を残した1989年の活躍について聞いた。

1980年代に巨人の主軸として活躍したクロマティ photo by Sankei Visual1980年代に巨人の主軸として活躍したクロマティ photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【プルヒッターから、篠塚らの影響で徐々に変化】

――クロマティさんは米フロリダ生まれで、カナダのモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)在籍時、ナ・リーグでの安打数が4年連続(1977年~1980年)で上位になるなど多くのヒットを記録していました。1984年シーズンに巨人入りした時のバッティングの印象を教えてください。

篠塚和典(以下:篠塚) もちろんヒットを打つ技術も高いと感じましたが、最初にフリーバッティングなどを見た時は、「長打を狙っていこう」というバッターだと思いました。メジャーから日本にやって来て、役割として「長打を打たなきゃいけない」という意識があったと思いますし、引っ張る意識が強いプルヒッターという印象が強かったです。

――来日1年目のシーズンに、いきなり35本のホームランを打ちましたね。

篠塚 1年目は打率3割に届いていませんよね(1年目の打率は.280。2年目以降は5年連続で3割を記録)。最初は長打を狙っていたように見えましたし、日本で1年、2年とプレーをしていく中で「打率を残そう」という考え方に変わっていったように見えました。

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