元阪神のエース・川尻哲郎が明かす好投した98年の日米野球秘話「じつは先発予定じゃなかった」「古田さんと清原さんが続投しろ!って」 (3ページ目)

  • 石塚隆●取材・文 text by Ishizuka Takashi
  • 長谷部英明●撮影 photo by Hasebe Hideaki

【ポスティングでのMLB移籍を直談判】

── そんなことがあったんですね。川尻さんは、もちろん先発が多かったんですけど、中継ぎでも投げていました。先発にはこだわりがあったんですか。

川尻 まあ一週間休めますからね(笑)。それは冗談として、僕は球威で押すタイプではなく、キレとコントロール、緩急が身上だから、やっぱり中継ぎだと厳しい場面がある。抑えられなくはないんだけど、できれば先発で回りたいという思いはありました。

── 阪神時代は二桁勝利が3回。

川尻 でも、隔年(1996年、1998年、2000年)なんですよね。二桁勝った次の年は疲れちゃって、ちょっとね(苦笑)。

── その頃、球団にポスティングでMLBに挑戦させてほしいと直談判したと聞いています。

川尻 ああ、たしかに。当時の球団社長に行きたいって伝えたんですけど「エースなんだから出せるわけないだろ!」って言われまして(笑)。

── MLBに憧れはあったんですか。

川尻 やっぱり日米野球で戦った経験が大きかった。抑えられるんじゃないかって衝動に駆られたし、若かったから、レベルの高いところでやってみたいって気持ちはありましたよ。

── 当時は同学年の野茂英雄さんがMLBで活躍していましたね。

川尻 まだイチローがポスティングでMLBに行く前だったし、時代も時代でしたよね。だからメジャー志向のあった同僚の新庄剛志(現・日本ハム監督)と、よく向こうに行くだの行かないだのと話はしましたよ。まあ今みたいな時代だったら実現したかもしれないですけど。いや、阪神はポスティングじゃ出さないか(笑)。

── 先日、ドジャースと大型契約をした大谷翔平選手はどのように見ていますか。

川尻 見るも何も、言うことないですよ。打者として本塁打王になってピッチャーで二桁勝利でしょ。すごいとしか言いようがない。でも大谷くんを見ていて思うのは、東北という土地に楽天イーグルスができた影響って大きかったのかなって。(トロント・)ブルージェイズの菊池雄星くんもそうですけど、東北にプロ野球チームができたことで、地元の子どもたちにとって身近な存在になったと思うんです。ゲームを観に行ったり、野球教室に参加したり。可能性を持った子どもたちが出てきやすい環境やきっかけになったのは間違いないと思います。

── つまり2004年にあった『プロ野球再編問題』が、いい影響を与えているのでは、と。

川尻 簡単に言えばそうですね。

── 球界再編といえば当時、川尻さんは阪神から近鉄に移籍し、当事者として渦中にいました。そして分配ドラフトで楽天へ行くことになりますね。

川尻 いや本当、びっくりというか、そんなことあるのかってことが当時は起こっていた。阪神を出てすぐの出来事だったし、僕にとっては本当に忘れられない日々ですよ。

インタビューに答える川尻さん

(全2回の後編に続く)

【Profile】

川尻哲郎(かわじり・てつろう)/1969年1月5日生まれ。日大二高、亜細亜大、日産自動車を経て、1994年のドラフト会議で阪神タイガースから4位指名を受け入団。1996年に自己最多となる13勝。1998年にはノーヒットノーランを達成(対中日ドラゴンズ戦)するなど、最下位に終わったチームの中、10勝をあげる。2003年オフに大阪近鉄バファローズへトレード移籍後、球界再編に揺れた2004年オフに、当時の新球団であった東北楽天ゴールデンイーグルスに分配ドラフトで入団。2005年シーズンをもって現役引退。プロ野球通算227試合に登板(163先発)、6072敗。

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