元阪神のエース・川尻哲郎の今 「飲食店をやるつもりは全くなかった」ものの新橋で出店した理由

  • 石塚隆●取材・文 text by Ishizuka Takashi
  • 長谷部英明●撮影 photo by Hasebe Hideaki

連載◆『元アスリート、今メシ屋』
第1回:川尻哲郎(元阪神ほか)後編

 3度の二桁勝利をあげ、暗黒期とも呼ばれた時代の阪神タイガースを支えたサイドスロー・川尻哲郎。1998年5月26日には、対中日ドラゴンズ戦でノーヒットノーランを達成。日米野球での好投や、球団合併・1リーグ制への移行に揺れた球界再編阻止に奔走した姿は、タイガースファンのみならず多くのプロ野球ファンの記憶に刻まれた。

現役を退いた後は、独立リーグ・群馬ダイヤモンドペガサスで投手コーチや監督を歴任。現在は、東京・新橋でスポーツバー『TIGER STADIUM』を経営している。

インタビュー後編では、選手として奮闘した球界再編問題、そしてセカンドキャリアについて話を聞いた。

(全2回の前編を読む)

東京・新橋で『TIGER STADIUM』を経営する川尻さん photo by Hasebe Hideaki

【〝1リーグありき″で話が進んでいた球界再編】

── 2004年に、川尻さんは、慣れ親しんだ阪神を離れて、近鉄バファローズにトレードで移籍しました。

川尻哲郎(以下・川尻) 数年間、成績的にもあまり活躍できていなかったし、「阪神じゃちょっと」という話になって、移籍先を探してもらって近鉄に行ったんです。当時思ったのは、やることは一緒なんだけど、近鉄はお客さんが少なかったから、やっぱりたくさんの人に応援してもらえる環境というのは、ありがたいなって。

── その時、球界再編問題で近鉄とオリックス(・ブルーウェーブ)の合併案が浮上しました。川尻さんはチームの中心選手として、署名活動などを通じて、球団合併阻止に尽力していましたね。

川尻 あの時は球団合併もそうですけど、〝1リーグありき″で話が進んでいましたからね。選手の去就はもちろん、プロ野球に関わる多くの人間が困ったことになるし、ファンだって不安だったはず。知り合いの記者たちと話して、何かやったほうがいいということになって。僕が先頭で署名活動をやっていたのですけど、正直、活動をしたくないって選手もいたんですよ。でも、それは違うだろうって。僕は、野球というプロスポーツの人気や未来を考えたら本当にやばいなって思ったし、いろんなところで一緒にやろうよって声を掛けたんです。結局、各球団の選手会の協力もあって100万人ぐらいの署名を集めることができて、世の中的にも2リーグ維持の流れになった。僕はきっかけを作っただけで、今のプロ野球があるのは、皆さんの力のおかげだと思いますよ。

── 結局、オリックスと近鉄は合併しましたが、楽天が新規参入したことで2リーグ制を維持。その後、川尻さんは分配ドラフトで2005年に楽天へ行きますが、1年間プレーをして現役を引退。そこに後悔はありましたか。

川尻 いや、全然ないんですけど、春のキャンプで一生懸命やりすぎて、怪我をしてしまって......。ああ、もう終わったなって。結局、戦力外になった後にトライアウトも受けたけど、そこでダメだったら諦めようって覚悟はありました。自分でもパフォーマンスが落ちていたのはわかっていたし、ここがもう潮時かなって。

── 紆余曲折あった11年間のプロ生活。

川尻 やっぱり楽しかったですね。子どもの頃から夢だったプロ野球の世界に入ることができたわけですから。でも、プロになったとしても活躍するのは難しい世界。1勝もできないピッチャーもいるわけだし、そういったなかで、ある程度結果と名前を残せたというのは、すごく嬉しいことですよ。毎年毎年必死だったし、11年間が長いか短いかはわからないけど、自分の努力だけじゃなくて、これは本当に周りの人たちのおかげでもある。絶対に一人じゃ無理だったし、関わってくれた皆さんに感謝ですよ。

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