元阪神のエース・川尻哲郎が明かす好投した98年の日米野球秘話「じつは先発予定じゃなかった」「古田さんと清原さんが続投しろ!って」 (2ページ目)

  • 石塚隆●取材・文 text by Ishizuka Takashi
  • 長谷部英明●撮影 photo by Hasebe Hideaki

【ノーヒットノーランは忘れられない】

── 川尻さんが阪神に在籍していた9年間(1995~2003年)は、思えば苦しい時代でした。

川尻 弱かったですよねえ(苦笑)。けど弱いなりにプレッシャーを感じてプレーはしていたんですよ。やっぱりファンの熱量はどの球団よりも高いし、動揺しちゃうようなメンタルでは甲子園じゃ戦えない。ま、僕は野次とかあまり耳に入らないタイプでしたけど(笑)。でも大活躍すれば騒がれるし、有名にもなるし、新聞の一面にもなる。だからなかには勘違いして、そのまま辞めていっちゃう選手もいました。今の選手はそんなことないと思うけど。

── あれだけの大応援団。やはりプレッシャーは半端ないのでしょうね。

川尻 ファンにとって阪神は生活の一部だし、弱い時代であっても期待値は高かった。でも僕としては、9年間すごく楽しかったですよ。勝負どころではいつも緊張したし、そのなかで結果を残さなければならない。立つだけで震えるような甲子園のマウンドは、本当に楽しかったですよ。別のドアの世界が開くみたいで。

── 開幕投手や二桁勝利など、中心選手として活躍した川尻さんですが、震える瞬間といえば、やっぱり1998年5月の中日戦(倉敷)でノーヒットノーランを達成した時でしょうか。

川尻 そうですね。最後は緊張してボールが真ん中に行っちゃったりして(苦笑)。まあ、ノーノーを逃しちゃう人もたくさんいるわけだけし、達成できるかできないかは大きな違いですから。試合中のチームメイトの反応? そりゃ、ゲームが進むにつれ声は掛からないし、ほとんど誰も近づいてはこなかったですよ(笑)。忘れちゃったことはいっぱいあるけど、やっぱりあれだけは忘れられないですよね。

ノーヒットノーランを達成した歓喜の瞬間 photo by SPORTS NIPPON

── 興味深いことに、98年のオフ、日米野球でMLBを代表する投手であるカート・シリング(フィラデルフィア・フィリーズ)を相手に、川尻さんは完封目前の9回1アウトまで投げています。MLB選抜には、サミー・ソーサ(シカゴ・カブス)やマニー・ラミレス(ボストン・レッドソックス)、ジェイソン・ジアンビ(ニューヨーク・ヤンキース)など錚々たる強打者たちがいました。

川尻 ものすごく覚えていますよ。実はあの試合、僕は先発の予定じゃなかったんですよ。本当は中継ぎでブルペンに入る予定だったんですけど、先発の西村龍次(福岡ダイエーホークス)が体調不良だっていうんで、急遽、投げてくれって監督の長嶋茂雄さんから言われまして。

── そうだったんですね。さすがに断れませんね。

川尻 0点で抑えることができて、7回まで行ったんですよ。もうここで終わりかなって思っていたら、日本選抜でチームメイトだった古田敦也さんと清原和博さんが「投げろ!」って言うんです。なんでも日米野球で完封したピッチャーはいないからチャンスだって。あの沢村栄治さんだって、たしか8回1失点だったんだと。それを聞いた長嶋さんは「あー、いいよ、投げろ」って。だから古田さんと清原さんのおかげで、完封はできなかったけど、9回まで投げることができたんです。

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